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エッセイの内容は盛れば盛るほどよい

 フォロワッサンにエッセイが向いてると言われたので、今日から僕はエッセイの天才です。なので皆さん天才の僕にひれ伏した方がいいと思います。ひれ伏しなさいなどとは言いませんが、ひれ伏しておいた方がいいとは思います。

 でも世の中のプロエッセイストって凄いですね。エッセイって自分の体験したこととか思うことを面白おかしく書くわけでしょう。そんなに人生面白おかしいこと起きたか?って思いますね。(プロエッセイストってなんか称号みたいね、ふしぎだね)
 やっぱりそれなりに人生さまざまな事を経験していなければ、書くネタなんてせいぜい数十個くらいで尽きてしまいますよ。こういうのは歳を経るごとに在庫も増すでしょうけど、意識的にドラマチックな生き方をしなければ、例え歳を重ねたとしてもなかなか在庫増えませんよね。ただ、時々居ますね、エッセイだけじゃなくても普段の何気ない会話の中で必ず面白おかしい過去話を出してくる人。例えどんな議題であっても、必ずオチのある話を出せる人。
 いわゆる『話が面白い人』というのは、そういう引き出しをたくさん持っている人なのです。
 引き出しをたくさん持っている人は、普段の行動を"人に面白く語れるような"行動を取っているのです。
 人に面白く語れる行動というのは、何か選択肢が出た時に一番面白い選択をしているということです。
 よくある啓発的な話で、『何かに迷った時、周りに話せる方の選択をしなさい』というのがあります。周りに話せるということは、少なくとも人には話せない、恥ずかしい逃げの選択ではないということ。
 しかし、しかしだよ。『迷った時、周りに話せる方の選択』、そんなものがおいそれとできたら苦労しねーんだよ。人間、誰にも言えないダサい選択をした過去なんていくらでもあるんだよ。日和って、チャンスを逃して、後悔することの連続なんだよ。そんなごみみたいな選択たちの中で辛うじてまともな選択ができた、意図せず面白い結果になった、そんな経験をタイミングよく抽出して、会話に乗せて、いかにも引き出しがたくさんあるかのように見せかけてるに過ぎないんだ。

 そんなわけでこれからも、案外大したことのない出来事を盛って盛って盛りまくって面白おかしい話に仕上げて投稿していきます。コンゴトモヨロシク……

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