人はなぜ『声』に惹かれるのか

 突然ですが、僕は声が良いです。(自慢)
このアドバンテージは生まれ持ったものであり、何の努力もせずに自然と獲得していました。
 何の努力もせずに出来てしまうもののことを『才能』と呼びます。才能がある人は、それを獲得する為の努力を努力と思わないそうなので、ひょっとすると自分が気付かなかっただけで、何か努力をしたのかもしれません。しかし僕としては本当に何もした記憶がないですし、歌の練習をしたこともないのに歌が上手いですし、ボイストレーニングを受けたこともないのに勝手に声優みたいな声が出てきます。
このアドバンテージのおかげで得をした自覚はあります。これは、顔が良い状態で生まれてきた人と同じようなもので、彼らも何も努力していませんが良い顔で生まれてしまったが為に得をしてしまいます。どうしようもなく得をしてしまいます。許せないね。

しかし、僕は時々思います。
『なぜ、声が良いとモテるのだろう?』と。

 実際、僕も好きなタイプの声を聞くと、どきどきします。どうしようもなく心が惹きつけられて、この人の声を耳元で聞けたらな…とかずっと同じ部屋で聞けたらな…とか思うものです。それは恋への入り口です。声にはそれだけの魔力があります。しかし、その理由が正直理解できないのです。なぜ人は、声が良い相手と番(つがい)になりたくなるのでしょう?

 人間は、脳の視床下部という部分で恋をすると言われています。その人が番になりたいと思う相手と出会うと、ホルモンが分泌され、恋をします。人によって条件が違う為、正解は無いわけですが、傾向はあり、それらには合理的な理由もあります。
 例えば顔が良い人というのはすなわち、顔に傷や障害を負っておらず、群れの中で上位に位置するだろうという証で、番になると自分が有利になります。
 お金を持っている人というのは、単純にお金で自分に餌を用意してくれるという安心感を与えてくれます。
 優しい人も、自分を傷つけず、優先的に餌を持ってきてくれます。
 力が強い人も、群れの中で上位を維持し、優先的に餌を確保してくれます。
 頭が良い人も(ry
 肌が綺麗な人も、皮膚病に冒されておらず、若く健康で自分に餌を持ってきてくれます。
 声が良い人も…………………声が良いって何?いやよくよく考えて見ると声が良いって何?何をもって声が良いとするの?声が良いだけでは餌を持ってこれません。合理的理由が分かりません。一応大塚明夫みたいなダンディボイスは気道が広い為に低い声が出るので、気道が大きいということはその分身体つきも大きいことになり、身体つきが大きいということは群れの中の序列も高くなる為に有利になるという理由づけができます。虎とか熊の唸り声を聞くだけで、低音の恐ろしさと魅力が伝わりますね。『あっ、こんな低い声出す生物には敵わないわ』と感じさせてくれます。しかし、世の中の良い声というのは低い声だけではありません。では何故なのか。
 生存に有利になりそうな要素を見て恋をするというシステムは、地球に生命が誕生してから長い時を重ねて研ぎ澄まされていきました。生存に有利な要素に持つ異性に恋をしたものが生き残るダーウィンの自然選択説に基づいて考えると、声の良さというのは生存そのものにおいてはあまり直接的でなく、顔や身体やお金のような重要すぎるファクターに比肩する理由が分かりません。「なんだか私がいないとこの人ダメになると思った」とか、「遊んでる時の顔が楽しそうだった」とか、そういうよくわからない理由で好きになるようなランダム性に近い要素にも関わらず、なぜか声の良さというのはそれだけで強烈な恋愛感情を呼び起こします。
 しかし、ここまで考えてきて、ふと気付いてしまいました。

“そもそも哺乳類以外の陸上動物って、結構鳴き声だけで番を決めてないか?”

 鳥の鳴き声、虫の鳴き声(羽ばたき)、メスへのアピールはもっぱら声であることに気付いたのです。つまり今でこそ生存において有利かどうかが重要なファクターとなっているメスのオスに対する判断基準ですが、長い生命の歴史の中で声の良さというのは、本能の奥深くに根差した抗いがたい異性の魅力の最たるものであったというわけです。餌を持ってこれるかどうかという価値観よりずっとずっと前から、『声の良さ』だけを判断基準に番を見つけるというサイクルを、数億年の長きに亘って繰り返してきたのです。
 こと人類においては、声が良いだけで餌を持ってこれるかというとよっぽどのことがないと難しいです。しかし、悠久の時を経て我々のDNAの奥深くに刻まれた、我々の祖先から受け継がれる“良い声に惹かれる”という原初の恋に、動物らしく何も考えず身を任せてみるのも、良いのかもしれませんね。

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