エッセイは格好つけずに



 エッセイに限らず、良い文章を書く為に大事なのは、格好を付けず飾らず思いのままに書くことだそうです。『響〜小説家になる方法〜』に書いてありました。めちゃ面白いので読んでください。
 僕としてはエンターテイメントのつもりで書いていたのでいかに笑わせられるかが一番大事でしたから、盛り上げる為に格好を付けることも飾ることも良い事だと思っていましたし、むしろどんどんやるべきだとすら思っていましたが、どうやら違うようです。等身大の、見栄を張らないありのままの文章こそが面白いのだそうです。
 等身大の自分の文章を見せるということは、僕自身の性格だけでなくこれまで学んできた語彙、吸収してきた考え方などの全てをさらけ出すということであり、それは裸を晒すより恥ずかしい事です。しかしそれだけ読者に自分を真正面から見てもらうことになるので、つまりそれこそが文章の面白さなのでしょう。

 振り返ってみると、僕がこれまでにnoteに投稿した記事たちの中で一番読み応えがあって面白かったのは恐らく最初期の『旅するおじさまに似合うジャケット』だったかと自分でも思います。あれこそ僕が文章というものを書こうと思い始めた20歳の頃の若々しさと未熟さに溢れた作品のはずなのですが、読み返してみるとやはり面白い。まぁせっかくなのでまだお読みでない方はこちらからどうぞ。今回のお話はこれを読んだことが前提になりますから。
↓以下前作↓

 さて、そんなわけでこの話に登場した、実家のクローゼットに長い事眠っていた25000円のジャケットですが、いよいよ着ようと取り出しました。
 長年眠っていたものの、陽の光も当たらず虫にも喰われず、当時の状態を保ったままだったので直ぐに着ることができました。
 袖を通してみると、童顔の僕には相変わらず似合いません。当然ですよね。これは初老の白人が着ていたから格好よかったのですから。
 しかし、改めて鏡の前で右を向いたり左を向いたりポケットに手を入れてみたりすると、なかなかどうしてそんなに悪くない。そんなに悪くないな。なんだか急に愛着が湧きそうな気がしてきました。押し入れに仕舞い込んだ時は直視することすら出来なかったのに、これを着て旅に出たくなってきました。
 あの頃越しに愛することができそうです。誰かから「なんでこんなオジサンみたいなジャケット着てるの?」と訊かれたら、「……特別なんだ」と意味ありげに答えることにします。そしたら勝手に形見か何かだと勘違いしてくれることでしょう。これからよろしくね、ブラウンのジャケット。

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