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なぜ苦手な人のSNSを見に行ってしまうのか…

私がX(旧Twitter)に登録したのは2014年1月らしい。

当時は頻繁に使うわけでもなく、フォロー/フォロワーも身内だけ。投稿が増え始めたのは、シナリオを学び始めた2019年頃だったと思う。

そして今日まで使ってきて、明確に「あ……この手のタイプの投稿は苦手だ……」というのが分かってきた。

”どういう投稿が苦手ですか?”
と人に尋ねたら、『愚痴が多い』『下ネタ』『悪口』『ネガティブ発言』『上から目線』『自慢ばかり』等人を不愉快にさせる投稿をあげる方が多いんじゃないだろうか。ただ私の場合、そういう投稿に対して苦手という意識があまりない。

私はずばり………『同族嫌悪』に陥りる投稿がどうしてもダメなのだ。
その投稿を見ていると自分の嫌っている”自分の欠点”を刺激されるような、そういう投稿。

もう少しがんばって言語化すると、
『自分のこういう部分が苦手だから、自制している(人には見せないようにしている)』
『本当は〇〇なんだけど、△△している』
というような自分の”気質”があったとして、それを欠点と思わずに(なんなら嬉々として)出している方の投稿を見ると、心が大きくザワつき、見ていられなくなってしまうのだ。

ここまで書いてみて思ったのは、欠点を刺激される恐怖に加えて、「〇〇なのに△△している」というある意味自分の中にある『自意識の捻じれ』を自覚させられてしまい、そう振るまっている自分を急に客観視して恥ずかしくなってしまう……とかもあるかもしれない。全開にしている人の方がよっぽどマシなんじゃないかとすら思えてくる。

苦手な投稿についての話はこの辺にして。
ではそんな心臓に悪い投稿を、見に行ってしまうのは何故か?

1つ目に思い浮かんだ説。
人は白黒決められないモヤモヤした感情や、言語化できない気持ち、答えが出ないまま放置されている宙ぶらりんの状態が苦手だから、何か『答え』が欲しくて見に行っている説。

「投稿が嫌いだから。以上」と簡単に言えたら楽だけど、それを言うと自分が嫌な奴になってしまう。だから言えない。なぜならその投稿は別に悪口を書いているわけじゃない普通の投稿かもしれないから。
それなのに何故自分は苦手に思ってしまうのか?出来るなら自分が嫌な奴にならない方向で答えを出したい……とまた見に行ってしまう。

2つ目は、シンプルに怖いもの見たさ説。
怖いと分かっていながら貞子のビデオを見てしまうあの感覚。
そして見た後に「見るんじゃなかった…」と後悔する。(ちょっとしたマゾ?)

私個人で言うと1つ目の比重が大きい気がするが、2つ目の要素もないとは言えない。
結局自分の心が動くので、見に行ってしまうのだ。

SNSは面白くて、「どういう投稿が苦手ですか?」と聞くだけで、その人の人柄や輪郭が見えてくるような気がする。

皆さんは、どういう投稿が苦手ですか?