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テレワークの功罪

テレワーク、リモートワーク、在宅勤務。呼び方はさまざまであるが、コロナ禍をきっかけに完全にホワイトカラーを中心に”出勤せずに家で仕事をする”という労働形態が社会に定着した。

コロナ禍が最も激しかった時期、「テレワークができないエッセンシャルワーカーやブルーカラー労働者に対して感謝を述べよう!彼らの待遇を改善していこう!」という声がホワイトカラー職を中心にSNSで多く聞かれたが、コロナに人々が慣れ切った現在、エッセンシャルワーカーやブルーカラー労働者の待遇改善を叫ぶ声はもうどこからも聞こえてこない。残されたのはホワイトカラー職のテレワーク権限だけだ。

コロナ全盛期、キラキラホワイトカラー職が自宅でテレワークをしながらSNSで「みんなのために!ステイホーム!」と叫びながら、感染リスクをUbereatやAmazonの宅配人に丸投げして悠々自適の自粛生活を送っている様は、これぞ資本主義社会と言うのに相応しいものであった。

筆者もコロナ全盛期にはありがたいことに週1~2回程度ではあるがテレワークをさせて頂いた。その時の感想は「え?こんなんで銭もろうてええんかいな?」というものだ。クソ熱い真夏、寒風吹きすさぶ真冬に朝早く起きて通勤していることが身体とメンタルにいかに負荷を与えていたに気が付かされた。何十年も習慣として続けていたから気が付かなかった。通勤時間はないほうが良い。

前回のnoteに何かをあきらめることで時間とメンタルの余裕を作り出すことが新しいことにトライする準備として大切だ、と書いたばかりであるが、テレワークはまさにホワイトカラー職にこの新しいことに挑戦する余暇と余裕を与えてくれるものだった。何もあきらめてないのにもう一本テレワークという腕が生えてきてモノが多く持てるようになった!というような感じである。

テレワークにより余暇と余裕を手に入れたホワイトカラーたちは、その時間を利用して資格の勉強や副業など様々な”新しいこと”に挑戦した。そしてその成果を得てQOLだけでなく金銭面でも余裕を獲得するに至った。しかしテレワークとは無縁のエッセンシャルワーカーやブルーカラーは、コロナ禍でもいつもと変わらずにシフト勤務し、日々のルーチンワークに忙殺され余暇や余裕とは無縁だった。むしろコロナによる人員の不足によりいつも以上に忙しい部署も多かったのではないだろうか。

コロナ対策として始まったテレワークは、結果としてブルーカラーやエッセンシャルワーカーとホワイトカラーの間にある余暇や金銭の格差を、過去最高にまで広げてしまう結果となった。

日本の会社は欧米のような個人主義の集合体ではなく一枚岩になることが良しとされてきた歴史があるため、部署が違えどある程度の待遇はつり合うように調整されてきた。しかしテレワークはそんな部署間の横並びを一瞬で破壊してしまった。IT業界のような社員全員がテレワークの恩恵にあずかれる業種では問題はないだろうが、製造業のような部署ごとに仕事内容が大きく違う業界ではそうはいかない。テレワークの導入方法をめぐり部署間で様々な”調整”が必要となってくる。すんなりいった会社もあるだろうが、少なくとも弊社は大変だった。

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