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#11 介護を手放す(6)〜「まだ、大丈夫そう?」の裏側で

認知症って徐々に進行するようですね。「ふとした時に振り返ると変化に気がつく」という部類のものだからこそ、1日単位で見ていたらほとんど変わってなさそうにも見えるのですが、子育てと違って、良い方向には進まないもので。大丈夫そうかな?と思っていても、実はそうでもない、という認知症の定期診断の通院を諦めてからの我が家の模様です。


母、家事を徐々にやらなくなる

認知症になる前は、家事は母にかなり頼っていました。母は、物忘れの症状が出始めていた頃からも、自分でできる家事はやってくれていました。とにかく洗濯が大好きで、そのほかの家事も母なりのスケジュールでやってくれていました。私も仕事をしているので、ちょっとした家事をやってくれるだけでも助かっていました。

それでもふと気がつくと、「いつもこの時間にやってくれていたな」という家事をしなくなっていたり、やってくれていたとしてもやり方がいつもと異なっていたりと地味に変化がありました。

例えば、以下のような感じです。
・母こだわりの洗濯物の干し方をしなくなって、とりあえず適当に干す感じになっている→次第に「洗濯用洗剤」と「柔軟剤」の区別がつけられなくなる→洗濯機の設定に混乱して、ボタンをあちこち押して「あれ、壊れたのかしら」と洗濯機の前で困っている
・毎日作っていたスープを「面倒くさくなった」と言って作らなくなる
・ヨーグルトをパックからお皿にとりわけなくなる→そのうち、1パックそのまま食べるようになる
・お風呂の掃除をしないまま、お風呂を沸かす
・交換したばかりのゴミ袋でも、1度気になるとほとんど空っぽでもマンションのゴミ捨て場に捨てに行く→ゴミ箱にゴミ袋すら入れなくなる→ゴミ箱も一緒に捨ててしまう
・トイレの上フタを壊す(外そうとした模様、ただなぜ外そうとしたのか不明)
・洗面台の排水栓自体も捨ててしまう(掃除のついでに捨てたのかわからないが消えている)
・食器は洗剤をつけずに水でなんとなく洗う(油も含めて洗いのこしだらけ)

どれも地味な変化で、母ができなくなっていることは裏側でフォローすることも多かったです。

・母がお風呂に入りたい時間帯までにお風呂掃除を終わらせる
・ゴミ箱は100均のものにして、捨てられても許容できるようにする
・ゴミ袋は隙を見てさっとゴミ箱につける
・排水栓は、安いものに買い替えて捨てられても良いものにする
・食器類は私が後から洗い直す
・洗濯は私が全部やる

こうしたことが毎日繰り返しで積み重なってくると、漬物石のようにじわじわと重みを感じて、出口の見えない状態に辛さを感じることも増えてきました。この頃は認知症についての本も読んでいたので、認知症の人の立場を想像して思ってなるべく普段の生活を変えないようにしてあげたいと思っていましたが、そのサポートに時間を使う=自分の時間を削るということになります。

「疲れているのに、なんでこんなフォローしなきゃいけないんだろう」
「認知症が進むともっとひどくなるってことだよね、初期でこの疲労。これから耐えられるかな」
「毎日こんな状態で私は誰の人生を生きているのだろう」

その頃、新しい仕事を任された時期だったこともあり、家でも仕事でもストレスがじわじわかかります。

私、つぶれはじめる

「今の自分が大変かどうか」という判断がいつも難しいなと思います。
ひとり親として、仕事・子どものこと・親のこと・自分のこと、と複数を抱えて、時間のやりくりは一生懸命していましたが、「大変かどうか」の共通指標なんてものはないし、その人の性格や周りの環境や状況によって異なる。そう思っていたので、人と単純比較もできないし、なるべく自分が大変だとは思わないようにしていました。

幸い、自分の直属の上司・部下・同僚・友人など身近な人たちは「客観的に見ても大変な状況って言えると思う」とは言ってくれました。ただ、会社の先輩方の中には「管理職の世代はみんなあれこれ抱えて大変な人たちが多いし、それをやりくりするのが管理職でしょ」的な空気をふわーっとまとわせていらっしゃる方もいて。泣き言が許されないところもありましたし、「うまく」両立することを求められているところもありました。

所属していた組織での人事権を持っている上司の方に相談した際も、「いろいろ大変だと思うけど、持続可能なようにうまくやってみて。」と実際言われた記憶があります。「『うまく』できそうにないから、仕事の量とか所掌を減らして欲しい、今後の人事異動も並行して検討してもらえないか、って相談しているのにな」と。

当のご本人には発言に全く悪気がないとしても、「状況は理解したけど、管理職だし異動もすぐの実現は難しい。業務量の部分も業務品質を調整して自分でなんとかできそうな方法を考えてみてほしい。今のこの部門の状況もわかってくれてるよね。」とブーメランのように返されるとその分ダメージも大きかったです。「ダメだろうとは思ったけど、やっぱり相談してもダメか」と気持ちが次第に萎えていきます。会社の事情もわかるんですけど、ね。

さらに厄介だったのは、自分が「与えられたタスクはきっちりやりきりたい」という性格だったこと。このミッション、なんとしてもやりきらねばと身体が無意識に戦闘モードになっていたようにも思います。結果、「時間的余裕がない」→「精神的余裕もないのでイライラする」→「家族にもイライラをぶつける」→「家の空気がピリピリ」なんてこともしばしばでした。

そんな中でも自分の持ち時間は毎日24時間。日々の優先順位づけもしんどい場面が続きます。
・自分が出席して説明しなければいけない仕事があり出社が必須。
・一方、子供からはこの日に「どうしてもフリースクールに行きたい」(親の送迎必要)と言われる。
基本的には家庭を最優先!と思いながら、仕事での責務もちゃんと果たしたいという気持ちもある。どっちを優先するべきか。
こうした大小問わず、「家のこと」or「 仕事」のどちらかを選ばなければいけない場面が毎日のようにあって、誰かしらに「ごめんなさい」をする生活が続きます。悪いことをしているわけでもないのに、周りに「いつもすみません、ご迷惑をおかけしています」と伝えながら、決める行為自体が苦痛になっていきました。

気がつくと、身体が動かず朝が起きられない日や仕事をしていても何も身に入らないといった日がちらほら続くようになりました。今思い返しても、この時期は仕事の生産性が本当に落ちていて、お給料をいただくのが申し訳ないぐらいだったと思います。

この頃は、マンガで言えば黒いオーラが全身から漂っていたのではないかなと思う時期です。疲れ切っていました。

地域包括支援センターの存在を知る

仕事は、裁量労働制だったおかげもあり、休む時間を日中に入れたりしながら、超低空飛行で最低限のものをこなすようにしていました。その頃、住んでいるマンションのゴミ置き場で母の顔見知りの方とたまたまご挨拶する機会がありました。

お知り合い:「最近、お母さん見ないけど、元気?」
私:「元気なんですけど、ちょっと物忘れの症状が出ちゃって。病院で診てもらったらどうやら認知症みたいで。ずっと家に篭りがちなんですよね。このところ病院も拒絶されてしまって連れて行けなくて。」
お知り合い:「えええ、そうだったのね。あなた一人で、子供さんもいてお母さんのお世話して、じゃ、ほんと大変でしょ。認知症の介護はほんと大変だから。将来は施設に入れることも考えた方が良いだろうし」
私:「はい、ちょっと大変ですね(話すうちにじんわり涙が浮かぶ)」
  *** ちなみに、ここ、ちょいと臭ってるゴミ捨て場です(笑) ***
お知り合い:「介護保険の相談してる?ケアマネさんについてもらった方がいいわよ。あと、介護保険申請するときは病院の診断書もいるのよね。この近所だと◯◯医院が慣れてるから、電話してみると良いと思う。ちょっと待ってね、後で家に資料渡しに行くから」

そのお知り合いの方は、ご自身も市役所勤めを引退された方で、親御さんの認知症の介護も経験されている方。それに加えてパートナーの方もケアマネージャーのお仕事をされていらっしゃるとのことで。その日のうちに市が出している「認知症ガイドブック」やら関連資料を一式届けにきてくれました。なんでしょうこのスピード感。まずは地域包括支援センターに連絡すれば良いところまで理解しました。

遅ればせながら、介護保険制度の活用という選択肢をようやくここで考えることになりました。まだ介護保険っていう話じゃないよね、と勝手に思い込んでいた自分がおバカだなと思います。介護認定を受けるかどうかも含めて相談だけはできたはず。数ヶ月一人で抱え込んだのも良い人生経験?と思うしかないです、苦笑。

次回は、地域包括支援センターに連絡してからの話です。ではまた!
(病院連れて行くミッション、フッカツです)

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