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#6 介護を手放す(1) ~親がまさかの認知症?

これからしばらく、自分の手から介護を手放す選択をした経験(=施設入居に早めに切り替え)をいくつかの記事に分けてまとめてみます。
親の介護へのかかわり方はいろいろですし、親の状態により取り得る選択肢が限られる場合もあります。ただ、選択の余地がある状態でも「在宅介護」か「施設介護」かでモヤモヤ悩んでいる方もいらっしゃる思います。そんな方に、”日本のどこかのお家の一つの事例”として多少の参考になれば。


単なる物忘れではなさそうな出来事

自己紹介にも書いていますが、私は10代の子どもを育てるひとり親です。離婚後は実家に戻り、会社員として割とがっつり働いてきました(そして最近、会社を辞めました)。父は亡くなっていたので、母に子育てを手伝ってもらってきました。

私の母は、几帳面なきれい好き。規則正しい生活を送っている人でした。
毎朝5時45分に起床。決まった朝食メニューを食べる。新聞を読み、洗濯をする。午後は散歩に行く。時計を見れば、母が何をしているかわかる生活でした。

コロナ禍で家族が自宅で時間を過ごすことになると、母は自分の部屋で長い時間を過ごすようになります。全員が同じ場所にいるとイライラする時間も増えていたので、私にはありがたいことでした。

それから少したったある日の夜、母が突然部屋から飛び出してきました。そして、慌てた様子で毎日朝食に用意しているメニューを作り始めました。
私も夕飯を用意しようと自分の仕事部屋から出てきたところでキッチンにいる母を発見。違和感を覚えたので母に尋ねます。

私:「お母さん、なんで朝ごはんメニュー作ってるの。今日の夜は、朝のメニューにするのかな?」
母「いや、寝坊しちゃって。もう7時でしょ?だから急いで朝ごはん作ってるだけだけど?」

会話は噛み合いません。「何を聞いてくるんだ、この子」と母はイラついた表情です。

私:「いや、お母さん。今、夜の7時だよ?朝じゃないよ。ほら外も真っ暗でしょ?」
(・・・数秒の間・・・)
母「あれ、ほんと?やだ、わたし、うたた寝しちゃってから、朝の7時だと思っちゃったわよ。目覚まし鳴ったわよね。あれ?そっか、夜の7時だったのね。ぼけちゃったわ、いやねぇ。」

寝ぼけて昼と夜を間違えることは初めてだったので、私も面食らってしまいました。「まさか、認知症的なやつではないよね?」という不安がよぎった瞬間でした。

様子見をしたくなる気持ちとの闘い

私がヒヤリとした日の翌日は、母はいつも通りの生活をしているように見えます。

それでも何となく気になったため、ネットで「物忘れ」と検索。巷のクリニックや製薬会社が提供している情報が出てきます。そこで初めて知ったのが、MCI(Mild Cognitive Impairmentの略、「軽度認知障害」と訳される)という言葉でした。

ネット情報の信ぴょう性はともかく、あちこちのサイトでMCIを調べてみると母の状況に当てはまることが多くありました。どうやら、単純な一時的な物忘れではなさそうだという認識は持てました。

今回改めて調べると、厚生労働省のウェブサイトがあります。リンク先のPDFもわかりやすいです。

といっても、MCIという新しい知識を喜ぶ気持ちにもならず。この状態に当てはまりそうな母に対して自分はどうすべきか、という次の悩みが出てきます。
私自身、親が認知症に近い領域にいるかもしれないことを受け入れる気持ちの準備が全くできておらず、できる限り先送りしたかったからです。

とりあえず、脳神経外科 - かかりつけ医に感謝

加えて、私の母が筋金入りの病院嫌いなことも悩みの種でした。気管支が弱く咳のコントロールをする必要があったため、文句を言いながら、2か月に1回のペースでかかりつけの内科に通うぐらいでした。

冒頭の朝と夜の7時を間違えた事件からほどなくして、母は風邪をひき、咳が出始めます。見るからに悪化しているのに、母は「大丈夫。病院は行かない。もう咳も治っている。」と主張します。嫌がる母をなんとか説得し、かかりつけのお医者さんに連れて行きました。

かかりつけ医の先生は、全身の状態を毎回触診で丁寧に診察してくださる、穏やかで信頼がおける先生。母に付き添って待っていると、顔なじみの看護師さんからも話しかけられます。

看護師さん:「今回はいつから咳でちゃったの?またひどくなるまで我慢しちゃったんでしょう」
母:「あれ、風邪をひいたのはいつだったかしらね。昨日だったっけ。1週間前だったかな。忘れちゃった。」(正解=1ヶ月半前)

この時、母は、体調不良の経緯を時系列で説明できませんでした。その後、診察に入られてきた先生に「母、ちょっと記憶が混乱しちゃっていたり、忘れちゃったりするんですよね」と私がこぼしたところ、「じゃあ1回、脳神経外科さんに診てもらうと安心かもしれないね。この近くにもあるし、調べていってみたらいい」とそれとなく言ってくれたわけです。

信頼をしている先生のこの一言で、私の次のアクションは「とりあえず脳神経外科」と思え、少しずつですが動き始めることができたのです。この先生の一言がなければ、可能な限り先送りしていたかもしれません。

最後に。
すでに書いてきましたが、当時の私は、親が認知症かもしれない可能性も認めたくありませんでした。また、母が認知症だと分かったとしても、これからの自分の生活がどうなるか漠然とした恐怖もありました。どう考えても、ポジティブな未来は描けそうにありません。すでに仕事と子育てだけでもお腹いっぱいだったので、介護の可能性はなるべく自分の中で消し去りたい気持ちでした。
とはいえ、現実はそうはいかないのが世の理。ではまた次回。

#認知症介護
#ダブルケアラー
#介護を手放す
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