国立大学寮に2年間住んでみて

大学1年入学当初から2年生の3月頭まで、とある地方国立大学の寮に住んでいた。

そこで感じたことを、プラス面とマイナス面で書いていきたい。

○プラス面
何より家賃が安かった。
月6,700円しか家賃がかからなかったし、水道光熱費も基本料金のようなものがなく大学の敷地内として使用分だけ請求されたので、大学生にしては随分貯金できたかな、と思う。
お金がかかることがストレスに感じる自分にとっては、出費が嵩むストレスは減らせた。

学校からそこそこ近かった。
寮から坂を下りるだけですぐ大学に着いてしまう。そのため朝はそれほど早起きする必要もなく、納得いくまで寝ることができた。
(但し近いと反って油断してしまい、遅刻ギリギリの時間に出てしまうことも屢々あったのはデメリットだろう)

・いつでもごみを出すことができた。
普通の家ならごみ出しカレンダーに従って月曜日は可燃、水曜日はプラスチック、など決まっているけれど、寮は何曜日になんのごみを出しても良かった。それどころか、一部の大型家電を除いて、粗大ごみもいつでも出せる環境にあった。早起きできずごみ出しの時間に間に合わない人にはいいかもしれない。

留学生の生活を間近に見られた。
同じフロアに留学生が常時5人ほどいた(短期で出ていく人も多く、入れ替わり立ち替わり、という感じなので「常時」と書いた)。
そんなにたくさんの話をしたわけではないけれど、共同のキッチンで出会ったときに使っているもの珍しいスパイスを見たり、日本人のように俎板を使わずに手のひらの上で食材を切っている様子を見たり(豆腐など柔らかいものだけでなく野菜も!)、共同生活をしないと見えないものが沢山あった。
入居当時ごみの捨て方について尋ねられたとき、そもそもごみを分別する習慣がないようで、服はどこに捨てるのか、これはどこか、とひとつひとつ聞かれた。
日本がごみの分別に力を入れていることは知ってはいたつもりだけど、やっぱり自国の文化は他者を通して見ないとよくわからないものだ。

狭い部屋で生きる力が身についた。
(デメリットにも書くけど)個人の部屋はとてつもなく狭かったので、他の人のような「豊かな暮らし」はできなかった。けれども、あんなにも狭い部屋でも生きていけることが分かったのは、ひとつの生活体験にはなったと思っている。あれより酷い環境に住むことは今後ないのではないだろうか。一度下のレベルを経験すると、その後は上がるしかないから生活への不安がなくなる。ある意味自信というか、生き抜く力がついた。


○マイナス面
狭い!!
いやさっきプラス面に書いたばっかりじゃん!笑と思っている方もいると思うけれど、狭いというのは、人権侵害のひとつじゃないかな、と思うレベルで心にくる。
よく「環境のせいにするな」と言う人がいるけれど、申し訳ないけれどあの環境で落ち着いた精神状態で2年間生きるのは無理だと思う。狭い部屋にいればいるほど、心も窮屈になってしまう。その狭い部屋が自分を規定するすべてに思えて、色んなことへの気力が失われてしまった。あの環境を生き延びたという自信はつくけれど、そんなことを経験する代わりに、普通の家に住んでいたらもっと2年間を充実したものにできたんじゃないか、とも思う。

・我慢の連続。
私のいた寮では、風呂・シャワー、キッチン、洗濯機・乾燥機が共同だった。
それくらいよくない?と思うかもしれない。私も最初そう思っていた。入居当初からそういった設備が使えるのもありがたい。けれど、問題は同じフロアに住む20人が皆それを使うことだ。これが5人程度のシェアハウスなら、互いにある程度気心知れた仲だからいいかもしれない。けれど、20人ともなるとそうはいかない。私が小学生のときのクラスが大体25人前後だったから、それよりちょっと少ないくらいの人数が、そんなプライベートの空間を24時間365日使うのだ。はっきり言って、安らげる空間はない。自分の部屋から食材や調味料を持って行って、さあ料理するぞ、と思ったらキッチンが他の人に使われていて他の人が終わるまで待たなければいけなかったり、逆に自分が料理していて他の人ができず帰っていくのを見て申し訳なく思ったり。調理器具が流しにそのまま長時間放置されていたり。洗濯機にしても、大体みんなが使いたい時間なんて似たようなものだからすぐ埋まってしまうし。誰かの物が置きっぱなしだったり、誰かが共同の場で大音量で音楽を流していたり歌を歌っていたり、他人から予期せぬところで受ける迷惑に、日々ストレスが溜まっていった。

・学校から気持ちを切り替えられない
学校が管理する敷地の中にあり、一般的な「市民の場」からかけ離れた場所にあった(立地としても山の中にあったので商業施設が何一つ周りになかった。そのためか寮生からは「刑務所」「監獄」と呼ばれてもいた)。
アクティブに動いて外の世界にどんどん飛び出ていける人ならいいのだけれど、そうでない人は「学校」だけが生活の全てになってしまう。サードプレイスとかそんなことを言ってる場合でもない、そもそも自分のファーストプレイスがファーストとして機能しない。気持ちの拠り所は、可能な限り分散させる方がいいと思う。
大学が大好きな人はそれでもいいのかもしれない。ただ、私の場合は前期入試で超難関の国立大学に落ちて後期で入ってきた大学だったこともあり、この大学とこの土地がずっと嫌いだった。常に逃げたくてたまらなくて、授業もあまり楽しんでは受けられず、そうしたせいか友達づきあいもあまりなかった。そのうえに生活が「大学」に規定されているというのはなかなかにしんどいものだった。

○寮を出てみて
そして先日、遂に寮を脱出して普通の賃貸に住み始めた。学校からの距離はだいぶ遠くなってしまったけれど、以前の2倍以上の広さがあり、市民の場とも比較的近いこの環境は、自分の心にゆとりをくれた。学校がうまくいかなくなっても、あなたが生きていける場所はあるんだよと、肯定してくれたような気がしている。

家と、職場or学校と、もう一つの場所。そうやって自分を多方向に分散させてやっと保てる自分がいるのだと心から思う。

※これはあくまで寮に2年間住んでどう感じたかの個人的意見であり、寮に住むことそのものを否定するわけではありません。ただ私が言いたいのは、安易に安さに飛び付いてはいけないという点です。メリット、デメリットを踏まえて、自分に合う選択をとってほしいなと思います。
なお、各大学により寮の様子は異なると思いますので、このnoteだけで入寮を判断せず、必ず各大学の公式情報を入手してください。

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