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あなたのパンを水の上に投げよ

 お嫁にきたとき、仕事もしていたし、まだ子どももいない気軽さで、私は不遜にも夫にいった「聖日集会にいきたくなかったらいかないよ」と。

 日曜の朝になって「いかない」と、いとも簡単に言い放つ私に「いいよ」とやさしくうなずくと夫は聖書と賛美歌のはいったリュックを背負って家をでていく。あるときふと、見送るつもりでベランダに出て外を見ると、少し離れたところで、私が追いかけて来るのをじっと待っている夫を発見した。

 いつもしばらく待ってくれていたのかもしれないと思うと、私は急にたまらなくなって、急いで支度し、自分もハナから行くつもりだったという風にドアをあけて、うつむいたまま彼のほうに走り出した。お互い前を向いて何もいわずに歩き出す私の手は、そっと夫のシャツの端を握っていた。

 あなたのパンを水の上に投げよ
 多くの日の後、あなたはそれを得るからである。
 (伝道の書11章1節)

 いろいろな解釈ができそうな部分ではあるが、伝道の書というからには、やはりここは「未来を信じて今できるよきことをせよ、その報いを楽しみに待て」と解釈したい。

 30年たって、あの日の夫の気持ちは報われたのだろうか・・・。そして私はキリストを知らない自分の家族や友人達に神様を伝えてきただろうか、否。まだまだできてはいない。

 ただ一つだけいえるのは、たとえ人はあきらめても神様は諦めないで待っていてくれるということだけなのだ。

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