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すんどめも信じた道をいく(7)胡蝶の夢を見る。


両脇を緑一色に染めあげた山道は、緩やかな下り坂になっている。私は、敷き詰められた玉砂利をジャリジャリと鳴らしながらそんな山道を歩く。時折、頬を撫でるそよ風が気持ち良くて目を細める。


豊浄殿を出ると、やはり新緑がまぶしい。山の中とはいえ、切り拓かれた山の側面には太陽の光が満遍なく降り注ぐ。

高い陽射しが葉の表面に反射して、山全体が白くかがやく。青葉が放つ反射光は、私の視界の隅々にまで拡がる。こうも陽射しが強いと、落とす影もやはり濃い。


玉砂利を踏み締める音が、心地よく弾む。


かがやく光に黒い影、新緑の匂いに柔らかい風、踏み締めた足の感触に心地よい音、さまざまな刺激が五感を通して流れ込み、私の体で溶け混ざる。充足の吐息と共に、ふわっとなる。

自分の中のなにかが揺れる。

踏み締めた玉砂利がねじれるように鳴く。

白いひかりが網膜ににじみ、虚実味あふれる輝きが視野の外環を縁取る。唯一、足下に伸びる細い山道の存在だけが頼りなく現実味を漂わせていた。

白昼の山道をゆっくりとくだる。


踏みしめた玉砂利の音は、反響せずに足下で鳴く。



軋む、軋む。音が軋む。



砂利、砂利、音が軋む。



だめだ、軋む。


わたし。



山の空気が、にわかに歪む。

眩しすぎる。



白いひかりがぐるぐるまわり、クリーム色になっていく。

甘い、甘い匂いがする。

そして、視界の端に黒い蝶をとらえた。


かん

そして、視界の端に黒い蝶をとらえた。
そして、黒い蝶を。

黒い、黒い蝶を。

黒い蝶を。

かんかん

黒い蝶を。

玉砂利が、軋む。


かん


かんかん


黒い蝶をみた。

視界の隅に黒い蝶をみた。神秘的に舞っているのを、ただ眺める。虚か実か、わからない。妖しさにまみれた山寺は、一気にわたしをのみ込んだ。

黒い蝶が飛んでいる。

翅。翅がいけない。その黒い翅の中には刺激的なプルシアンブルーが織り混ざっている。妖しく艶めくその蠱惑的な翅は、わたしを狂わすには十分過ぎた。

黒い蝶の鱗粉は、黒いプルシアンブルーの翅がはためくたびに天花粉のように舞い上がり、気流に乗って拡散してゆく。

媚薬のような鱗粉は、強い日差しを柔らかく反射してわたしの世界を紫色に染めてゆく。そしてしだいに私の世界が溶けてゆく。

私を包むようにただよっている鱗粉を、
私は躊躇わずに、鼻で吸い込む。

鼻で、吸い込む。

視覚に聴覚、触覚も、五感のすべてが疑わしくなる。熱湯に溶ける氷のように現実味が薄れていく。そこにできた無数の隙間から、揺らめくような眩暈がしっとりと滑り込んできた。

とっても穏やかな風が、足もとの草を揺らす。

歩んでいた足が、やんわりと止まる。



ふたひらの黒い蝶は、上に下にとせわしなく入れ替わりながら、惑うように近づいてくる。

白く霞む光の中で、ふたひらの黒い蝶が私のまわりを舞いまわる。

私を包むようにただよっている鱗粉を、
躊躇わずに、鼻で吸い込む。

鼻で、吸い込む。


ああ、いいですね。


胡蝶の夢が頭によぎる。


『荘子』の中でも有名な一節で漢文の授業で習った方も多いとおもう。私は中学高校生の頃、『荘子』や『老子』が好きで、暇さえあれば読んでいた。今でもたまに、パラパラと眺める。

蝶になって飛んでいる夢は未だ見たことはない。


臽。

クリーム色と紫色が混ざったり、混ざらなかったり。

甘い臭気。

甘い甘い匂い。


臽。


もう、だめだ。

眼球がゴロンとひっくり返る。




臽、臽。

そして、ガラス玉がはじけたような幻想が花ひらく。



たましいが、意識が、どんどん滲み出る。

滲み出た意識がクリーム色の空気と混じりぐるぐるとまわる。



黒い蝶になった。

側から見てる分には、たいそう神秘染みた存在であったにもかかわらず、自分がなってみるとバカらしいぐらいに知性も神性も見当たらなかった。

あっちにひらひら、こっちにひらひら。


花のなかに顔をうずめては花粉まみれで蜜を吸う。花から花へと飛び回り、樹木の若葉に羽を休める。

花粉まみれの顔をあげて辺りを見渡すと、そこには山寺の道を歩く人間の姿があった。

その人間はどこか落ち着きがなく、つまづきようのない所でつまづいている。時折思い出し笑いをしているのか、一人で笑ってる。随分と陽気なことで。

なんだかその人間がとても気になったので、その人間の近くに翅をバタつかせて飛んでいく。

その人間は、おもむろに目を瞑り、その場でぐるぐる回りだしたかとおもうと、目を閉じたまま腕をブンブンふりながら、ヨタヨタ歩きだした。

鐘楼の鐘が延々と鳴り響く中、轟音を響かせて多宝塔が飛んでゆく。

あれ…なんか…見覚えが…

腕をブンブン振ってる人間が勢いよく、でっかい岩に抱きついて、満足そうに目を開けている。

まさか…

岩に抱きついていた人間は、岩から離れて歩きだした。


そこにはキョロキョロ歩く間抜け面の私がいた。


あっ、と声をあげた刹那、


死角から一閃。


何が起こったのかよくわからなかった。

体をくの字に折られながら、大きなカマキリの顔を確認する。私は身を委ねるようにゆっくりと目を閉じる。





目を閉じ切ると同時に、勢いよく目を開ける。


新緑のやたら眩しい光が網膜をさす。山寺を漂う優しい風が微かに葉を揺らしている。

私は今、蝶になった夢を見たのだろうか。

目の前を飛ぶ、黒アゲハをみる。


美しい。俺には蝶より腸が似合う。そんなことを考えていると、急に台無し感が湧いてきて、一気に正気を取り戻す。 


明確に現実を感じ、自分は蟹工船からとんずらこいていた事まで思い出す。くっ、思い出さんでいいことまで思い出しよって……。


黒アゲハは、何も変わらず、とっても優雅に舞っている。私のそばで草木に遊ぶ。

私が感じた山の眩しさも、黒い蝶の妖しさも、私が勝手に感じて幻惑しただけなのである。

光は照らす。わたしの心の隅々まで。

私は、ただ照らされただけ。

ただそれだけ。


おもむろにスマホを取り出して、そっと黒アゲハに近づいた私は、この幻想をこわさないようにゆっくりとシャッターをきった。



山寺にて狂おしい感覚になった私は、おかわりを求めて再び、緩やかなくだり坂をせっせと歩く。

強い日差しに目を細めながらも、遠くを見たり足元を見たりせわしなくキョロキョロと目線を動かす。貧乏根性で360度全方位に目をやり、余す事なく脳裏に焼き付けようとする。首の動きがえげつない。

上、ひだり、上、みぎ、
ひだり、みぎ、ひだり、みぎ。
斜め下、斜め上。
カクカク、ひょいひょい、
しゅんしゅん、ピッピ。


不規則な首の動きが、徐々に空間を歪める。後ろに続く人にとってはさぞ、異様な光景であったのであろう、足音が少しずつ遠のくのがわかる。

私は蝶になって自分の姿を見た。自分がいかに挙動不審かを。そしてそこには神性なぞ微塵もない。禍々しささえ無い。あるのはひたすらポンコツ感だけ。

後ろを歩く人に、甘美な夢を見せれる雰囲気は私には無い。後ろの人が感じるのは、目の前の中年が危なっかしいという事と、蹴躓かないかという無駄な心配だけなのかもしれない。



この写真のなかに黒アゲハがいるよ。わかるかな?
道の向こうに『光堂』が見える。


光堂は近年の建造物なのだが、鎌倉時代には光堂という堂宇が存在していたらしく、それを復元した物だそう。地元企業の東レが金に物を言わせて昔ながらの工法で建てたもの。そして石山寺本堂と同じ懸造かけづくり(崖などから突き出したつくり)になっている。

近年の建立とはいえ、この風格。〝近年建立〟という色メガネでみると、大概興醒めしたりするものだが、そういう風にはまったくならなかった。

造形の見事さが、そんなちんけな感想を起こさせなかった。


光堂内(撮影不可)には御本尊の阿弥陀如来とか浄土曼荼羅の施された巨大なタペストリーが飾られていた。

光堂を降りて、下から仰ぎ見る。

新しかろうがなんだろうが、素晴らしいものは素晴らしい。


今日見たこの光堂は、二千年後もきっとこのまま残っている。二千年後の人々が、溜め息混じりに眺めるであろうこの光堂の、出来立てホヤホヤのその姿を私は見たのだ。


わたしは、満足な顔で再び、山をくだる。


つづく。


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