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桐島聡は何を思いながら亡くなったのか

先日、指名手配されていた極左テロリストの桐島聡容疑者が突如、偽名で入院していた病院内で正体を明かし、そして昨日(1/28)にそのまま病院内で末期がんで亡くなったことが報道された。

桐島氏の逃亡、そして偽名での入院、さらに自供をしたものの末期がんのために逮捕すらできなかった一連の流れを、X上では「桐島氏の完全勝利」と表現しているポストも見られた。

こういったポストを見ながら、まあその通りだなと同意する点もあるが、個人的には強烈な違和感も感じたため、記録として残すことにする。

桐島聡とはどんな人物か

桐島聡とはどんな人物だったか?ここに関しては主にウィキペディアから引用をする。そんなに詳細に書くつもりはないので、気になる方は自分で調べて欲しい。

彼は、1954年に生まれ、1972年に明治学院大学在学中に東アジア反日武装戦線に参加し、複数のテロ事件に関与している。

東アジア反日武装戦線は極左テロリスト集団で、日本の帝国主義に反対する立場から、帝国主義の象徴となる建物、器物を連続爆破し、一連の事件で8人の死亡、380人の負傷者を出している(全ての事件に桐島氏が関わっているわけではない)。

1975年、つまり桐島氏が21歳のときに、反日武装戦線の主要メンバー7名が逮捕され、そこから現在に至るまで逃亡をしている。桐島氏が事件関係者として容疑が上がったのは、逮捕された他のメンバーの供述によるため、桐島氏が逃亡を開始してから、容疑者として終われ始めるまでにタイムラグがあったことも、逃亡が成功した要因と言えるだろう。

桐島氏の逃亡中の様子までは分からないが、「内田洋」という偽名で最後の数十年間は生活をし、偽装した保険証によってある程度普通の生活もできていたのではないかと考えられる。

逃亡生活、彼は何を思っていたのか?

逃亡生活、彼が何を思い、過ごしていたのかは分からない。
もし彼が逃亡中、一点の曇りもなく、反日感情を抱き続け、自分の中の正義を貫いた上での病死だったのであれば、彼はこの事件の勝利者と言えると思う。
だけど、自分にはとてもではないがそんな風には考えられなかった。

ここから書くのは、あくまでも自分が桐島聡だったらどう思って過ごしていただろうという想像だ。一意見と思い、読んで欲しい。

まず、彼は凄まじい孤独と戦っていたと思う。もちろん彼はただの殺人犯ではなく、思想犯であるため、逃亡を助ける協力者がいた可能性も高い。そういう意味では孤独ではなかった可能性もある。しかし、基本的には凄まじい孤独の中で人生の大部分を生きていたはずである。

そんな彼が何も考えずにぼーっと生きていたとは考えにくい。仲間の裁判の様子はニュースを通して知っていたと思うし、その中で懲役を受けている仲間と自分を何度も何度も比べては色々考えていただろう。

時効の成立によって完全に自由になることをずっと求めていたと思う(海外逃亡がなければ、完全な時効は2027年と言われている)。でも、同時に懲役を受けて自分の犯した罪とちゃんと向き合わなければいけないという思いもあったのではないかとも思う。

思想犯というのは自分の中に何かしらの正義があり、命をかけてそれを追い求めた人間なので、自分たちの活動が本当に正しいものだったのかは常に考えていたはずである。

バブルの時代、バブルが崩壊して失われた10年、20年なんて言われていた時代、北朝鮮やロシアなどの社会主義政権の恐ろしさや、資本主義社会の中で変わり行く日本を見ながら、彼は自分たちの思想は間違っていたと考えるようになったかもしれない。

仲間の裁判が終わり、懲役が決まったニュースを見ながら、逮捕された仲間を実は羨ましく思っていたかもしれない。偽名を使い、孤独な生活の中で、逃亡を続ける自分と逮捕され罪に向き合っている仲間を比べたときに、自分は本当にこれで良いのだろうか?と悩んでいたのではないだろうか?頭の中では自首を考えては、ここまで逃亡したんだからもう少し頑張ろうと自分を奮い立たせていたかもしれない。

どうして今更自供したのか?

死ぬ直前、今更自供をした彼にとって、これは勝利宣言だったのだろうか?

もちろん、日本警察にとっては完全な敗北だと思うので、勝利というのはある意味正しい。でも、刑務所内で罪と向き合い、出所して、もう一度人生をやり直すことこそが本当の勝利であることは誰もが分かっている。どんな勝利宣言をしたとしても、それは本当の勝利にはならない。

それを選ばなかった桐島氏は確かに犯罪者としての戦いでは警察に勝ったかもしれないが、容疑者のまま、容疑者として人生の幕を閉じることとなり、これは決して勝利と言えないと思う。

死ぬ間際に自供した彼は一体何を思ったのだろうか?
私は、彼が自供をしたのは、ただたださびしかったからだと思う。
さびしかった?逃亡犯が勝手なこと言ってんじゃねーよ!という声があるのはもっともだと思うが、彼はひたすらさびしかったと思う。

刑務所に入っていても人間らしい生活を要求できる生存権は与えられる。
一方で彼は人間らしい生活を送れていたのだろうか?心休まる場所があったのだろうか?
刑務所に入っていても、面会で家族に会うことができる人だっているが、彼はそんなことはできなかっただろうと思う。

そんな彼が自供したのは、最後にちょっとだけでも本当の自分に戻りたかったのではないだろうか?私は彼を庇うつもりは全くない。ただ、彼がこのタイミングで自供したことが、彼の勝利ではなく、敗北だと思っていると言いたいのだ。

X上で「日本警察への完全勝利宣言として自供した」とか、「桐島聡は敵ながらあっぱれと思う」みたいなポストが目立ったが本当にそうなのだろうか。私は逃げ切ったかどうかではなく、彼が人間らしい生活ができたかどうかの方がよっぽど重要なファクターじゃないかと思っている。

最後に、彼が犯した罪はとてつもなく大きい。政治思想についてはどうこう言うつもりはないが、その解決策としてテロ行為を行うことは、全く共感できるものではない。
事件の被害者、関係者がこの記事を読んで、不快に思ったならば、陳謝する。

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