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桜と日本人の記憶

桜の季節ですね❀︎.(*´▽︎`*)❀︎.

今年は開花が早いですね〜🌸
私は昔から桜が大好きなのですが、桜を見るとDNAが蠢くような不思議な感覚を覚えるんですよね。

青空の下に映える桜も大好きなのですが、特に好きなのは夜桜です。
夜桜の持つ得も言われぬ幽玄さは単に幻想的という以上に、桜の持つ時におどろおどろしいとさえ思える程の妖気を纏った精霊の存在を感じさせます。


日本人は何故こんなにも桜を愛する民族なのでしょうか。


昔の人は美しいまま潔く散ってゆくその姿に己の美学を重ね、諸行無常を感じたのだと思いますが、桜という言葉について音(オン)の観点から少し触れてみたいと思います。

桜の語源には諸説あるようですが、民俗学では農業を司る「サ」の神が春になると山から降りてきて神座するのが由来だと主張されているようです。
このサの神であるサンバイは農業や田の神として地域により様々な名前で呼ばれており、特に中国・四国地方で「サ」の神と呼ばれ、信仰されていたようです。

音ではクは来ることを指し、ラは場を指しています。

つまり桜というのは

サ  農業と田の神である「サ」の神が

ク  来て

ラ  鎮座する場所

という意味を持ちます。音の意味からも民俗学の解釈とピッタリ一致しますね。


日本語の音はそれぞれの音が物事の本質を現しているため、昔の人は春の訪れと共に里に降りてこられる神様の存在を感じ取っていたのかも知れません。
桜が神様の化身として人々に愛されていた理由が頷けますね。

太古から人の世がどれ程荒れようとも春が来れば必ず桜は咲きます。
今年は桜が咲かなかったという年はありません。

時を越えて日本の大地に繰り返し咲き続ける桜。現代の私達はその中にある神様の到来の遠い記憶を潜在的に持ち続けているからこそ桜に惹かれるのではないでしょうか。


今こそその訪れに気付くべき時なのかも知れません。



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「願はくは 花のもとにて 春死なむ
                                    その如月の 望月のころ」                                                                            西行法師


(できることならば咲き乱れる満開の桜の下で死にたいものだ。釈迦入滅の二月十五日の満月の頃に)


* 西行法師はこの辞世の句の通り、ちょうど桜が花盛りを迎える時期に自ら望んだ日の翌日である二月十六日の満月の日に亡くなっています。


最後までお読みいただきありがとうござました


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