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母の推し活を振り返る



突然ですが私の母は【平野紫耀】さんを推しています。

平野紫耀に会って、キンプリに会って人生がとっても変わったな〜と感じることがたくさんあるのでそのことを少し書きたいと思います。





母が平野くんを好きになったきっかけは「花のち晴れ」
母とは別々に暮らしており、久々に会った時にジャニオタだった妹に突然「コンサートに行くにはファンクラブに入らないといけないの?」って聞いてきたのを覚えています。笑


ドラマを見て、シンデレラガールを聴いてキンプリにはまったそうでした。どうしたらキンプリを見ることができるのか一人考えた母は、昔妹が見ていた少クラにたどり着き、いつのまにか私でも分からないようなジュニアの話をできるようになっていました。笑


ド田舎の地方に住んでいた母。芸能人に興味をもったり、ましてやジャニーズの話を自ら始めるのは初めてだったので私たち姉妹はびっくりしました。ちょうどその頃キンプリがデビューコンをやっている時期だったのですが、申し込みは間に合いませんでした。


写真だけ撮りに行った


その頃母は50代半ばでしたが、それまで人生で一度も東京に行ったことがなく。妹と3人で東京旅行を計画しました。それにあわせて妹が少クラの番協にこっそり応募。まさかの当選し母はここで初キンプリを観ることになったのです(これがいわちのラスト出演となりました)



実際に生のキンプリを見てからも母の口ぐせは「今だけだからすぐに飽きる」そんなことを言いながらもう5年が経過していますが。笑



翌年の2ndコンサート。人生初のファンクラブに加入し無事当選。初めてキンプリのコンサートに参戦することができました。


コロナ禍中も配信ライブは全公演視聴。平野くんのドラマ、映画の映像作品はもちろんDVD購入。部屋には平野くんの写真が並ぶようになりました。


WゆうたのDREAMBOYSを見に帝国劇場へも。母の性格的にコロナ禍真っ最中の東京に行くという行動は、推しがいなければ絶対に有り得なかったと思います。そういった行動も含め、この頃には自分でTwitter、Instagramを使いこなし、情報収集ができるようになりました。


Re:senseは外れてしまったので次参加したのはドームコン初日と2日目の2days。

初日が終わったあと「人生で一番楽しい日じゃない?」と聞いたら即答で「そうだよ!」と答えていました(娘の立場とは笑)


でもこの時のドームコンは他担の私から見ても本当に会場全体に幸せな空気がただよっていたな〜と思います。席もアリーナ前方でとても良い場所でした。



そしてその年のアリツア。私はとりあえず全部申し込むタイプなのですが、まさかの北海道が当選🫣
飛行機嫌いで東京すら最近まで行ったことがなかった母からすると行くことにとても勇気のいることでした。(交換探して!と何度も言われました。。)

結果的に説得することができ、これまた人生初の北海道へ。飛行機降りた瞬間あの火事のニュースが入ってきて、中止になるんじゃないかとひやひやしましたが私たちの公演は無事に行われました。

結局これがキンプリとしての平野くんを見る最後の機会になったので本当に諦めずに連れていってよかったなと思います。


しょうれん髪型似すぎ

とてもとても楽しい北海道遠征になりました!

その後あの運命の11.4がやってきます。その日はアクスタ戦争とクロサギとで手に入れた初めてのアクスタを持って一緒にランチに行った日でした。



夜になり突然の発表。母を叩き起し、眠れずに朝まで起きて話していたのを覚えています。



そこからNumber_iの活動が始まるまでは、マイナスな考えを口にすることも多く、もう二度と表舞台には出てこないのではと考えていたので、また戻ってきてくれた日にはとても喜んでいました。



そして今はNumber_iの平野くんを応援しながら推し活を続けています。




キンプリに会うために苦手な飛行機に乗り北海道へ行ったり、ロケ地巡りするために東京へ何度も足を運んだり。年齢に対してSNSにも詳しいですし、1人で録画ができるようになったりCDを購入できるようになったりグッズを購入できるようになったり。



ひとつひとつ言い出せばキリがないですが、キンプリにあって母の5年間は人生で一番楽しい5年間だったとよく話しています。



最近平野くんは供給過多で忙しそうですが、これからも会いに行けるように足腰鍛えて頑張ってほしいと思っています。


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