僕の顔面コンプレックスは結局誰のせいか

「顔面コンプレックス」という言葉を聞いたことがあるだろうか。読んでそのまま、自分の顔がコンプレックスである人のことを指す。

これから書くのは、顔に限った話ではなく体型や服装のことも含むが、タイトルでは分かりやすくなおかつ代表的と思われる「顔面コンプレックス」を挙げた。

かく言う僕も自分の顔がいくつかあるうちのコンプレックスの一つである。僕の友達にも同じようなコンプレックスに悩まされている人がいる。

では、なぜ人は顔面コンプレックスになるのか。そもそもコンプレックスの根源はなんなのか。

僕はまだ高校生で人生経験も浅いうえ、大々的にアンケートを取ったりして調査できる状況ではないので、多少偏った見方かもしれないということを念頭に置いて読み進めていただきたい。

さて、僕自身や僕の周りの人を見ていてもコンプレックスが生まれた時期は人それぞれだが、早い人ではだいたい小学生に上がったあたりで気になり始める。

幼稚園や保育園でも「ブス」や「デブ」などのストレートな悪口を言われることはあるにはあるが、言う側も受け取る側もあまりに幼いので3日も経てば忘れていたりする(もちろんここですでにコンプレックスが芽生える人も存在するが、僕は幼稚だったので忘れていた)。

小学生は(大半が)無邪気だ。だからこそ、残酷なことを平気で口にする。

小学生の時点でこの(全然軽くない)軽口や悪口に傷つき深く考え込んでしまう人もやはり一定数いる。

だが、コンプレックスと呼べるほどの巨大感情に進化するのは中高生になってからが多い。何故か。

それは、小学生の悪口と中高生の悪口だと「重み」「痛み」が違うからだ。

体力テストの項目のひとつ、ハンドボール投げを例に挙げよう。

投げるボールの大きさは、小学生より中高生のほうがひと回り大きい。

投げる力は、人それぞれだが大抵成長するにつれ強くなる。

飛距離だってそれなりに伸びてくる。

さて、小学生が投げたボールと、中高生が投げたボール、どちらが当たったら痛いか。言葉もこれと同じ仕組みで強さと鋭さを増していくのだ。

また、成長するにつれ言葉を発する側も受け取る側も物事を深く考えるようになる。すると言われた言葉は同じものでも、より深く考え込むようになるのである。

加えて成長するにつれ容姿の優劣で扱いを変える人間に出会う機会も増える。
「性格が悪いから相手にされないんでしょ」とかいう人には申し訳ないけどとりあえず黙っていただきたい。性格云々以前にこういう輩は実在する。そして僕達は扱いの差に絶望し、無意識下で顔面至上主義の思想に染まってゆき、見事コンプレックスを手に入れるのだ。

けれど世間には同じ経験をしていても顔にコンプレックスを持たない人も存在する。体感ではそちらの方が多い。

僕は、それは彼ら、彼女らの自己肯定感が高いからだと思っている。

逆にコンプレックスを持つ人は自己肯定感が低く繊細なケースが多い(僕調べ)。

たぶん、自己肯定感が足りていないと些細に思えることで落ち込んだり考え込みやすくなったりするのだと思う。そもそも心無い輩の悪口で自己肯定感が地に落ちたとも言えるが。

そんな奴らのせいで僕達は今、着たい服が着られず、食べることに罪悪感を持ち、自分の顔で生きていて許されるのかという恐ろしい問いを自分に投げかけ続ける羽目になっている。

自己肯定感が低いのが先か、顔面コンプレックスが先かという話になったところで今回はおしまいにしようと思う。

読んでくださった方々、ありがとうございました。