かけがえのないもの


10月。祖母が亡くなった。

1月。祖母が亡くなった。

10月のある日、母からの電話。
「ばあちゃんが亡くなった」


信じられず、何度も同じことを繰り返し尋ねる。
本当に?本当に?と


昨日まで笑っていたのに。
普通にご飯を食べていたのに。
いつもの日課でお昼寝をしていたのに。


祖父が少し家を空けた間。


まだ元気だった。
足腰もしっかりしていた。
もっと先の話だと思っていた。


別れは突然来るものだと悟った。

なぜもっと会いにいかなかったのか。
なぜもっと気にかけてあげられなかったのか。
いつでも連絡を取れたのに。


見たくもないモノを見るのではなくもっと違う使い方があった。
握っていたスマホはいつしかSNSをチェックするモノになっていた。


“大切なものは失ってから気づく”
その言葉が胸に沁みた。

1月の朝方、父からのLINE。
「ばあちゃんが亡くなった。帰ってきなさい。」

神様。同時に祖母を奪わないでください。
そう思った。

ずっと体調が悪く、入院していた。
認知症も患っていた。
足腰が悪かった。

実家にいる時、思春期ということもあり、祖母の存在が邪魔だった。
酷言い方だが、祖母にいつもイライラしていた。

認知症でご飯を食べたことを覚えていない。
悪夢を見ているのか、夜中に突然叫ぶ。
足が悪いため、よく転び、母はその度に呼ばれていた。

早く病院に行けばいいのに。
両親の手間を取らせないで欲しい。
本当に酷い話だ。私は最低だ。


少し前、実家に帰ることがあった。
もう最後かもしれないからと、祖母に会いに行った。


そこには痩せ細り、呼吸もうまくできず、意識のない、見たこともない弱りきった祖母の姿。


悲しかった。まだ考え方も、なにもかも子供だった私を憎んだ。

意識のない祖母とツーショットを撮り、大事に大事に、保存した。


葬儀では言うまでもなく涙が止まらなかった。


家族でたくさん祖母の話をした。

両親は共働きで小さい頃はいつも祖母と過ごしていた。

大好きだった。


人の死をもって知る。
私は生かされているのだと。

自分の命を大事にしようと。
いつ何があっても、明日死んでも悔いのないように生きようと。