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20240616

最近は毎日誰かのモーニングルーティン動画を見ている。なぜモーニングルーティンが好きなのだろう。余裕があるかんじとか、だいたいが一人の時間であることとか、空気感とか。これを書いている今は05:34なのだけども(今と入力したら予測変換に現在時刻が出てきた。知らなかった。)今だからnote書いたりできる。こんな時間がいかに貴重か、、早起きしてる人はこんな貴重な時間を毎日得てるのだろうなと思う。

あまりせかせかしてたり効率的なモーニングルーティン動画よりは、白湯飲んでボーッとしてる時間をとっているような動画のほうが好きだ。お茶をゆっくり入れるとか。起きてるのだけれどもどこかダラダラしてる雰囲気がいいと思う。

朝から朝ごはんをしっかり丁寧に作りすぎてるのは、実は理解できない。大変だし。私は食べやすくて家にあるものをサクッと食べたい。読書や勉強をすることも、実は分からない。朝からやることかな、と思ってしまう。日記や手帳時間は分かる。洗濯や食器洗い、掃除も分かる。料理以外の家事は朝のうちにやりたい。

そういえばモーニングルーティン動画はなんとなく色味というか、情報量が少ない気がするのもいいなと思う。ガチャガチャしないかんじにも癒やされる。なんで朝はガチャガチャしてなくて日中はガチャガチャしてる気がするのだろう。

日中はどうしても目が覚めてるし、ものごとがなんだか明るみにでて日にさらされていて、容赦がない。何も許してもらえない。見えるものぜんぶ自分に関わりがあるんだから責任を持て、と言われているような気がする。誰かの顔色も、そこにあるゴミも、配慮や援助の必要も、その場の空気も、自分が口にする言葉とそれが人に与えてしまう影響も、ぜんぶ私のせいなのかな、と感じさせられることがある。実際そうかも。気の持ちようとかものの見方とかで変わるのかも。そうなるとぜんぶ引き取らないといけない。自分ごととして。





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