左側の迷信


目が覚めたら少し汗ばむようになってきた。それは季節のせいだけではないと気づいた。左側の背中が妙に痛むから、左側の腰がずっと痛むから私は寝れない。ひょっとして悩みでもあるから汗ばむように、はたまた寝れないよになったとでも言いたいのか。そういえば悩みとか葛藤とか生きている実感を得られる物体はいつのまにか消えていた。つまらない。何かが軌道に乗っている時高揚感とか幸福感とかよりも、いつ不幸になるのか、いつ転覆するのか怖いのだ。「仕事をする上でそういうの面倒だから自分から堕ちようとするのやめてくれよ」と薄ら笑いを浮かべながらつぶやかれた。腹立だしい。お前は永遠に高い心拍数で生きていればいい、そう思った。

左側が痛むのは先祖への感謝やらが足りないのだと母に言われた。お墓参りはお正月に行った以来確かにいっていない。母の言葉が気になり始めた。先祖って何人いるのだろう。先祖の数だけ無口で良い方角を見ながらご飯粒を食べたら良い。そんな迷信があれば今にでも実行するのに。そんな馬鹿馬鹿しい事を考えながら朝の7時を迎えた。23度に設定した小さな部屋の中で寝ていないのだ。

いつ不幸になるのかわからない恐怖、同様にいつ幸せになれるのかわからない不安だってある。今が幸せだとか不幸だとかはわからないけれど、確かに感じるのは後者の不安だ。生きる理由なんてないから生きる理由を探すのは無駄だと誰かが言っていた。だったら幸せにならなきゃいけない理由だってない。でもどうせ生きているのなら幸せになってみたいし、その幸せを全身で飲み込みたいなら、不幸になっても良いと思う。それを面倒だからなんて言葉で片づけるなんて浅はかで無知で無神経な奴もいたもんだ。


また左側が痛む。曾祖父がこんな文章を読んであきれているのかもしれない。俳句を詠むのが好きだった曾祖父へ。ごめんなさい。

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