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「生きてて良い状態」と「めんどくさい」

今日一日なにもないと思って昨日と同様にベッドですやぴぴ寝てたら、キャリア支援部の人に面談の資料を期限までに送ってないのを怒られて、急いで送った。怒らせるの2回目。「仏の顔も三度」って三度目までセーフなんやっけ、三度目でアウトなんやっけ。三度。って止めるのかっこいいけど三度がセーフかアウトか教えて?

送り終わって、達成感に包まれながらまたすやぴぴしてたらバイトから電話があって、バイト入れていたことを思い出して冷や汗かいた。なぜなら2日も風呂に入ってなかったから。今電話に出たら、すぐ用意して行かなければいけない。こういう時は頭が冴える。いったん気づかないふりして、シャワー浴びてから電話に気づいた体で電話を折り返しかけて、「すっかり忘れててお風呂に入ってました!今から急いで髪乾かしてから向かいます!あと40分後くらいですかね・・・」って言った。

嘘はついてしまったけど、ちゃんとバイトに行きました。えっら。偉すぎ。偉すぎて怖いくらいだね。

こういう人に迷惑をかける出来事があっても、くよくよしなくなった。あゆに求められていることは「二度としないこと」であり、「落ち込むこと」ではない。だから必要以上にくよくよしません。反省はしてるよ。

今日は、「生きていても良い状態」についてずっと考えていたよ。

生きていても良い状態って人によって全然違うと思うんやけど、あゆはその理想が高すぎる。自覚はある。でも他人に「あいつは生きていない方が良い」とかは思わない。(クソオスは別)あゆの中で生きていても良い状態であるためには、目の前のことを、なにも考えずにただこなしていかなきゃいけない。

前に読んだ「『めんどくさい』がなくなる本」(鶴田豊和)では、会社やら学校やらバイトやらに向かっている間にめんどくさい、と考えることが無駄って言ってた。考えても、結局行かなきゃいけないから。考えている間に、起こらないかもしれない憂鬱なことを想像してしまうから。だから歩いてる間に何も考えないようにするために道にあるものに名前をつけるんだって。電柱に「幸子」、ビルに「知美」とか。ものに関連する名前(例えば電柱に「電子」、ビルに「ビル美」とか)をつけてはいけないっていうルールを設けると、意外と思いつかなくて「めんどくさい」を考える余地がなくなる。まぁやってるうちにだんだん名前をつけていくことがめんどくさくなるんやけど。何も考えない練習とか、気持ちの切り替えにはぴったりやと思う。

どこかのキャバ嬢も、(多分桜井ののかやった気する)仕事行くのはトイレするくらい生きているために必要で当たり前のこと。トイレするときにめんどくさいって思わないから、仕事にも思わない。っていってた。

結局、生きていて良い状態は、自分が自分のことを認められる状態やと思う。自分で自分のこと認められるようにするには「自分がんばってるな」って思えないといけない。「自分頑張ってるな」と思えるためには、ときにはめんどくさいこともしなきゃいけない。めんどくさいをうまく対処できる人間になることが、生きていて良い状態の人間になるための近道やと思った。

とか色々生きていくために考えるんやけど、落ち込んでるときはどんな理屈聞いてもうっせ~。しんでくれや~。しか出てこないからそんなときは好きなもの食べて好きなだけ寝ればいいと思います。

ちなみにあゆは今3日連続でケンタッキー食べてて、三日連続寝腐ってます。

明日からは面接やら説明会やら色々あるので、道のものに名前をつけながら、なるべくめんどくさい、って思わないように生きていきます。

おやすみなさい。

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