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女だからやるんじゃない。

「私は義父や夫の家政婦になるために結婚したんじゃない」

フルタイムの仕事をやめてから、今日までの約1年半で何度思ったことだろう。

私の実家は女だから家事をするのが当たり前と言われた家庭。父は基本的に家事はしないし、食事中にお酒が欲しくなったら「おい、酒」と言えばお酒が父の元へ運ばれてくる、そして食事を終えたら好きなことをする父にかわって、父の食器を流しに運ぶのは母か娘たちの仕事だった。
高校時代に友人の父がご飯を作っていると聞いた時に、お父さんって料理するの!?と驚いたことは今でも覚えている。

そんな昔ながら?の風習が残る家庭で育った私は、学生時代に様々なことを体験して価値観が変わった。
それまで当たり前に「女だからしかたない、やるしかない」と思っていたけれど、男だから、女だからという理由で決めつけられることに違和感を抱くようになった。

だからこそ、自分が女だから家事をやらなければいけないという謎の使命感は捨て、それぞれができることを分担していける夫婦でありたいと思っていた。

結婚を機に生活の変化が起きた

夫と2人で同棲している時には、フルタイム共働きで夫の方が帰宅時間が早いこともあって料理は夫が作っていた。フライパンも、食器も夫が使いやすい物を揃えた。お風呂に入るのは私の方が遅いから洗濯物は私の担当。掃除は気になったらお互いにやる。
それが当たり前と思って生活をしていたから、ストレスなく生活できていた。私の理想の生活だった。

私が仕事をやめて、義父との同居が始まってもうすぐ2年。義父は女の私はフルタイムで働かずに家事をするほうがいいと、私に直接伝えるくらい「女だから!」の理論が当たり前。

私が7時間パートをしてきても、8時間働いてきている夫の方が偉いから、帰ってきて食事と洗濯を担当するのは私。日曜日、みんなが遊んでいても1人で家事をするのは私。パートなんだから週5で働いていても家の中は常に綺麗に掃除していることが当たり前。妻が夫を支えてあげるのが当たり前。

義父の言うように、私はやりたい仕事を捨て、夫婦2人で築き上げたお互いに家事に参加するという習慣を捨て、私の人生をかけて夫を支えるのが当たり前?

そんな義父の思考で、この当たり前の中で生活していたら、フルタイムで残業をしていた時より自由な時間は増えて楽なはずなのに、なぜがとても疲弊していた。1人で家事も育児も仕事も頑張る女性って凄いなぁと思う反面、どうして女だからという理由でそんなに女ばかり苦労するんだ?と感じてしまう。

私が好きで家事をして、家族に尽くすことで幸せを感じているのなら、全て家事をしても文句はないけれども、女だからやれと言われながら家事をすることには不満しかない。

我が家の当たり前は私たち夫婦が変えていく。

私がフルタイム復帰することをきっかけに、家事分担も同棲時代と同じ様式に戻すことに。つまり、夫が家事を手伝うのではなく、夫が主体になって料理担当として過ごしてもらう。私も、私に振り分けられた家事をこなしていく。

それが私たちの当たり前。

女だから、男だからやるんじゃない、夫が帰ってくるのが早いから担当になるだけ。私の帰宅が遅いから料理は休みの日にしかしないだけ。

夫は自分の家事分担が増えることに対して「これをきっかけに新しい和食を極めようかな」と前向きに考えてくれているし、私も食費の管理からキッチンのアレコレまで全てを夫が好きなようにしてくれていいと考えている。キッチンは奥さんのご要望を取り入れた方が…なんて言葉は私たちにはいらない。

私たち夫婦はどちらが偉いとかそんなことなく、お互いが同じ立場で一緒に過ごしていくパートナー。

それぞれがやりたいことができる、たまに頼りたくなったら隣には最高のパートナーがいる、そんな関係を理想で終わらせずに実現していこう。



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