読経に宿る美

読経は聞いていて退屈なものだと長らく思っていたが、最近はそれを大変美しい「祈りの音楽」だと確信するようになった。

きっかけは高野山の金剛峯寺での出来事。境内を散策していると微かに読経が聞こえ、近寄って傾聴したところ、一定の音程に絶えず滑り続ける言葉の響きに酔ってしまった。その上、澄んだ空と逞しく生い茂る木々にも囲まれ、やがて悠久への地平線を見るに至った。

これは見方次第で宗教的体験なのかもしれないが、それとは無関係に喚起された感動だったように思える。

それから半年、とある都合で再び読経を聴くことになった。その読経は少し私の好みからは外れたが、多少の瑕を除けばやはり美しいこと極まりなかった。特に抑揚をつけて読み上げる部分には恍惚としてしまった。これは音楽的体験といってもいい。

音楽というのは「祈り」と切っては切り離せるものではないから、宗教に無知の私にも読経に宿る「祈り」の声が聞こえてきたということか。

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