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椿屋四重奏なんてきらいだ

かわいさ余って憎さ百倍とはこのことだ。
あんなに突然解散「しました」って宣言しておいて
こんなに突然、「記念ライブします」だなんて。

極めて個人的な感情をぶちまけてしまうかもしれないけど、
言うなればあの「椿屋ショック」をダイレクトに経験したからこそ、
だからこそ言わせてほしい。
今言わないとほだされそうだから。

椿屋四重奏なんてきらいだ。

こんなに深く深く爪痕を残して、トラウマのような経験は
もう二度としたくない、と強く感じている。
解散はどのバンドにも当てはまることだけど、
今もなお、ずっとそう思いつづけている。

少し思い出話になるのだけれど。
わたしは椿屋四重奏の実質的な解散ライブとなった
SENDAI SUNRISEに悩みに悩んだ末に参加し、mixiで募集されていた
ファン同士のオフ会にも初めて参加するという、その当時の自分史上最強にアクティブな体験をすることになったのだ。
初めて家族以外と年を越し、初めてオフ会に参加するという、
私の中での初めてをふたつも捧げ、これからも好きでいるんだろうって
当たり前のように年明けの活動を待っていた。
(社会人になりたての私には、めちゃくちゃハードルが高かった)

そんな高揚感MAXな私にとどいた「解散しました」というメッセージ。

そんなことある?
します、じゃなくて、しました、ってどういうこと?
解散までの日々を作品を聞いて感傷に浸り、
解散の日を迎えて気持ちを昇華させる、ということすらも
許してくれないドSなボーカル中田裕二らしい決断だった。
わたしは今でもこのことを許せていないし、
一生許せないと思う。
許したら負けだとも思っている(もはや意地でもある)

バンドに解散なんてつきものだし、
勝手に思いを乗せていることくらいわかっている。
それでも、でもでもだって、どうして許せよう。
思った以上に売れなかったバンドかもしれない。
思った以上にすきもの呼ばわりされたバンドかもしれない。
それでもわたしにとって、椿屋四重奏の音楽は、
何物にも代えられないものだった。

もちろん、その後はボーカル中田裕二のソロを追いかける日々が
待っている未来すぎたのだけど、それでも、わたしはずっと
『椿屋四重奏の影』を追い求め続けていたからこそ追いかけたのだ。
ソロも好きだけれど、どうしてもバンド時代のテイスト、
あの物憂げな、日曜の夕暮れみたいな切なさがにじむ、
退廃的なロックが好きなのだ。陰鬱ロックがだいすきなのだ。
中田裕二のソロは、ぽっかり空いた椿屋四重奏が占めていた
陰鬱ロック枠を埋めることにはならなかった。
なんなら新しい扉を開いた彼に、追いつけない自分が出来上がってしまった。

椿屋四重奏なんてきらいだ。
だいすきで、だいきらいだ。

それからだいぶ時が経ち、ステージ上の中田裕二を恍惚と眺めるわたしを、よくわからないけどいいね、って言って一緒に眺め続けてくれた人と結婚をし、家庭を持ったことであの時の熱病が冷め、中田裕二から少し距離を置いた。
それは、『追いかけねばならない』ということに執着していた自分が、そうじゃなくてもいいんだ、と自分自身を呪縛から解き放ったという、成長した証拠でもあると思っている。
どうしても、彼を追うと、そこに「椿屋四重奏」を見たくなるから。
そういう自分の感情を、やっと彼から切り離して、まっすぐに今の中田裕二を受け入れよう、その上で袂を分かつことは仕方のないことなのだ、と思えるようになった。

そんな中に届いた、二十周年再結成の知らせ。

現時点で、東京ワンマンのチケットは苦戦しているので行けるかわからないけれど、仙台でツーマンのステージを見ることができることになっている。
中田裕二時代しか知らない夫とふたりで。
(THE YOUTHも好きすぎるのでこれについてはまた書きたい)

このステージは、私にとって椿屋四重奏の卒業式だと思っている。
やっと。やっとちゃんと昇華できる。
今から、その時を思うと涙がこぼれそう。
朱い鳥の歌詞がクロスオーバーする。

”いつの日にか夢も醒めて 愛の逃げ場所は
白い空 遠い国 あなたが居ないところ
私には背負えない だから許してくださいね
朱い鳥 朱い鳥 飛んでゆくために
目一杯触れた”

引用:歌ネット

ずっと描いてきた幻想を、幻惑を
目の前でしっかりと焼き付けて
終わりにしよう
自分の中の想いに区切りをつけて
私怨のような思いをやっと捨てられる

大嫌いでだいすきな椿屋四重奏に会える貴重な夏
この夏、わたしはまた一つおとなになるんだろう。
今から楽しみに、心待ちにその日を待っている。
ブルーバックの中に、手を伸ばすように。

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