若さというものは

子供の頃はとにかくお金がなかった。

母親は専業主婦で、父親は普通のサラリーマン。

父親の生計だけで、食べるのには困らなかったが、嗜好品は制限されていた。

私が一人前になるまで面倒を見てもらって、大学まで行かせてもらえたのは有り難く思っている。

仕事内容がどうであれ、環境の劣悪を置いても、そこそこ良い職場に巡り合えて現に生活も困らずに生きることができている。


だから、親を責めることはせず、誰も見てないであろうからここに書かせてもらう。

私は、ピンクハウスとかmerry jennyのようなガーリーで可愛いものが大好きだ。

それは服に限らず、セーラームーンとかカードキャプターさくらとか、ファンシーでときめくもの全般が。

大人になって収入源を得てから、狂ったように買い漁っている。(買い物依存症かもしれない)

自分で働いたお金だもの、惜しみなく使っている。

学生時代まで、お金がなかったときまでは、我慢をして、「いつか社会人になってから」と期待に胸を膨らませていた。

大人になるということは、一人立ちをすることだと私は思っている。

それは、精神的、経済的、そして年齢的にも。

つまり、大人になって経済的に余裕は出てきたが、気づけば年齢も2○歳になっていて、

幼い頃から好きだったファンシーでときめくものが似合わなくなってきているのだ。

これは、20代のファンシーファン(ここでいうファンシーでときめく物が好きな人たち)の悩みでもあるのではないだろうか。

最近、ジェンダーレスとか性別に縛られず生きていく人たちに焦点が当てられている。

それはとても素敵なことだし、世の中が変わっていくことに抵抗はない。

けれど、年齢はどうなのだろうか。

「今が一番綺麗なときだよ」

これは母親に言われたことだ。特に嫌味を言っていた訳ではないのだが、

私には「ここから年を重ねると賞味期限が切れるわよ」と言っているように聞こえる。

それは、私がそういう風に考えているからだろうか。それもあるかもしれない。

こういった偏った考え方をさせる社会と、自分自身に嫌気が差してくる。

そんな陰気な自分ではあるが、最近はTwitterで見かけた40代くらいの女性がピンクハウスを身につけているのを見たり、

年齢に縛られず好きな服を着よう、といったコンセプトのもと、洋服を展開しているのを見て、勇気を貰っている。

世間になにを思われるのか、どういう目で見られるのか怖い自分はいる。

しかし、私はいくつになってもファンシーファンでいたいと思っている。

私は、性別や年齢に囚われず、似合うものよりも着たいと思う洋服を身につけていたいし、

お金を惜しみなく出せる、幼い頃から大好きな乙女チックでファンシーなグッズや漫画なんかを集めていたい。

「若さ」というものが似合わなくなっていっても、この好きが続く限り、私は私でありたいのだ。