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Wait for...

"待つ"っていうのは、待たせてる人と待たされている人がいて初めて成り立つ行為です。

んでもって"待たせている"、"待たされている"っていうのは上下関係が発生する。

どっちが上で下かっていうのは良心の有無と間柄によって変わってきますね。
待たせている側に良心がなく相手を下に見ている、或いはあまりに親しく互いに迷惑を掛け合うことが日常なので気を遣う間柄ではない、相手の優先順位が低いパターンは待たされている側が弱者です。
反対に待たせている側が相手を上に見ている、或いはとても尊重して大切に思っている際は、待たせてる側が申し訳ないと思っている。こちらは待たせている側が弱者です。
そしてその場合、大体そういう人を待っている側もその人で
「あいつ良い奴やしな しゃーなしやわ」
って思ってる(私見)

要はこの人のためなら自分の時間を犠牲にしても待てる、って思えるんですね
なおかつ相手のその状況を許容してあげる"心の広い自分"に対して良い気持ちを抱いてることも少なくない。

つまりは私達は無意識に
「相手に対して自分が待ってあげるだけの
  "価値"があるかどうか」
っていうことを判別している。
「この人なら自分の時間や都合を
 犠牲にしてでも待てる」
っていうのは自己犠牲のように見えて
実は自己陶酔だったりする。
自分の方が下のような響きをしていながら
本当は
"相手を待ってあげる優しい自分"
っていうものを作り出している。
そう、つまり
"待ってあげている"
っていう意識にいつの間にかすり替わっているんですね。
なおかつ待ち方によって幸福度の変動が高い。

"いかに待っている側が幸せを感じられるか"
もっと言うと、
"いかに時間を有効活用して暇を無くせるか"
っていうものが鍵になってくる。

そもそも何もしてなくてもメンタルが安定している人ならば良いんですけど、そうじゃないメンヘラ気質寄りの女とかについてはこの時間をいかに充実したものに出来るかが本当に大きいと思っていて、
「なんでこんなに待ってるのにまだなの?
 遅いんだけど!いつになるかの目処くらい
 連絡くれてもいいじゃん」
とかってなり出すきっかけになる
"暇"ってやつをいかに撲滅出来るかだと思います。
つまり人を待っている時間を有効活用できる人は強い。
もっと言うと、確約されていない待ち時間を自分のために使う そして、自分が待ち時間を有効活用するために始めた行動が仮に相手を待たせることになったとしても
「まぁこっちも待ったし
 少しくらい待たせてもいいか!」
って思えるくらいの良い意味での適当さとフェアさをもった思考で、"待ってあげたのに"ってならない人間は強い。

難しいネ〜〜〜⸜( ◜࿁◝ )⸝︎︎
何が難しいってその強さの理由は
自分の価値を信じられるっていうことだから。
毒親育ちにはクソムズい案件ですが
まぁそれを言い訳にして逃げても仕方ないからさ、少しずつそういう人になれればいいなって思いながら、人を待つ時には人が来るまで
"ヲレの自由時間だから"って思うようにすることから始めようと思います。

まぁ簡単な話互いに良心をもって接しましょうね、待つってことは当たり前じゃないぞっていうことです。
相手に対して待つだけの価値を感じられなくなったら終わりで、その終わりが始まるには相手から自分が"尊重されてないな"、"下に見られてるな"っていう意識と、それに対する不満が発生するっていう現象が不可欠。
じゃあその現象を止めるためには何が必要かって当たり前じゃないことを当たり前だと錯覚しないことと、良心を忘れないことの2つだと思います。

ヒトはココロもカラダも
いつ死ぬかわかんないからね
それなり大事に生きていこうネ
んで疲れたら人生ドロップアウトしよう

そん時は崖に集合〜☝🏻 ͗ ͗


あ"?

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