時代はかわる。(自分だけの世界へとカスタマイズ編)
今、自分のありのままで居られるニューバージョンの時代が来ています。
嘘をつかなくてもいい時代。
なんてよき時代だろう!と思うんです。
嘘をつくというより、自分らしくいれる。という表現の方が
もっと沿っているかもしれません。
本質の全体意識 ‐ 本体の自分の方は、誰の所にも
既にこのニューバージョンがアップロード済みなので、
あとは、自我、個を体感するほうの自分が
色んな方向から新しい感覚や世界観を学んで、
自分らしくカスタマイズしている最中にいます。
大半の人は、付き合いでしょうがないな。とか、
やりたくなくても、それをやらないとどうやって生きて行く?等の
狭い選択の中の息苦しい感覚を理解できるかと思うので、
記憶として慣れに親しんでいることが、
え、もうそうしなくてもいいの?ってこと、すごく多いし、
ここから増々多くなっていくと思いますが、それで普通です。
やりたくないことを頑張って続けれたり、
それでも必死に頑張ることがなんとなく出来てしまったこれまでですが、
これからの私たちに、それはもう必要がありません。
というよりも、もう必要ないかも。とした場合、
必要でなくなっていくので、自分次第が軸になるってことです。
そんなこと言ったって、やめたらどうやって成功させるの?とか、
どうやって幸せになれるの?って気持ちが漂うかもですが、
これからの時代に、
嫌だと思っていることが目の前に現れるということは、
止めても大丈夫。止めたら他の道が開ける。ことを知る機会。
でもあります。
“スキじゃない事じゃなく、好きな事に時間を使うのもありだよ。”
という一つの方法を習っている期間とでも言いましょうか。
そして納得出来ていないことへの執着を一旦止めて見ると、
そこで初めて次のステップが動きます。
執着を。と書いたのは、やりたくないな~と思ってしていることでも、
そこから離れたらどうなるか分からないという関係性からの意味では
立派な執着となるので、
実際にやめるというより、止めるという選択もあると知ることで
クッションが挟まれると、執着は、パタンと落ちます。
これが落ちるときに視野が一旦広がるので、
ここが、自我に見せてあげたい目的地です。
(そこに定着するかは別です。)
最初にこれをやってみないと自分でも気づけないし、
その機会(次のステップへの)も作れないので説明はしづらいのですが、
ちょっと苦しいな、もうやめたいなと感じていることがあれば
試しに、えいっと止めてみてください。
するとね、驚くことが起こります。
今かと待っていたかのように何かが動き出す。
その何かというのは、確かに自分にとってワクワクすることで、
ここからの冒険の欠片となる部分です。
加えて、自分にとってのスキや在り方という個性が、
その形に添って現れるようになっているので
自分に素直になればなるほど、
自分だけで保温していたような想いに
賛成してくれる人が現れたり、
それで全然普通だよと思っている人と出会えたり、
分かり合えたり。
そうゆうのが、どんどん当たり前になって来ます。
ですが、ここは現象の世界。聞いてすぐに何でもかんでも
やめてみようか。って気持ちにはならないかもしれません。
カンペキな流れがあることと、スピードを出していたものにブレーキを掛けてからは、止まるまでに時差があります。
私も普段からまだまだ止める勇気が足りてないってことが沢山あって、
“やめてみようリスト”を書きながら
少しずつ自分の好みの世界にカスタマイズされていくのを楽しんだり、
喜んだりしています。
私のリストには、
・自分には必要ないな。と思ったものは、
その場の雰囲気に合わせて買ったり、取り込んだりしない。
・今日はちょっと疲れたから後回しにしたい。ってことを
ちゃんと後回ししてみよう。
ほんとに何でもない些細なことが書かれているのですが、
こうゆうちょっとしたことが他の何よりも大切で、
これまで自分らしく居られなかった時間を癒したり取り戻していきます。
🗝新しい道を開く前のキーワード。
苦しい。というのは、自然由来じゃないよ。
すきなものをスキ、苦手なものは要らないって思っていいよ。
肩のちからは抜いても誰にも迷惑はかからない。
なんとなくやってしまっていることで感じる心のザワザワは、
終わりのサイン。
周りの声じゃなく、自分のこころの声を尊重することが、
みんなの為になる。
のんびりで大丈夫。必要なときに、終える力が必ず力を貸してくれる。🌟
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