とりとめもなく・12

 2015年にもう一度ほろびてをちゃんとやろう、手の届く規模で継続的に、と思ったのはスタジオ空洞の存在を知ったからだった。十分な情報ももたない中で一人でまた演劇をやり直そうと思った、それにうってつけの広さと価格だった。空洞は本当にありがたい場所だ。同じくらいの広さであるSTスポットもSCOOLもまだ存在を知らなかった。ぼくは長らく無知だったのだ。それはいまもほとんど変わっていない。で、スタジオ空洞でやりたい演技の方向性と方法論は決めていた。極力装置を配して俳優のやり取りだけを見せたい。
 演劇を休んでいた時期に俳優WSにいくつか参加し、画面を通したささやかなやり取りのおもしろさを初めて実感した。それをやりたいと思った。一番小さいやり取りだ。AとBが話すということ。片方の言葉を、もう片方が受け取る/受け取らない。シンプルな構図なのに、さまざまな選択がつぎつぎと分岐・発生していくことにドキドキして、誰かと会話をする”演技”をすることがとにかくたのしかった。それを外側から見て自分がどう感じるのかなぜそう感じるのか俳優が何を志向してそうなりそれをぼくはその通りに受け取れたのか/受け取れなかったのか、ということをWSの場で感じていくことがゾクゾクするほどおもしろくて、豊かだった。
 スタジオ空洞を押さえる、と決めてから1週間。ぼくはメールを送れないでいた。赤字が怖い。連絡したら引き返せない。長らく宙を漂っていた指を一気にリターンキーへと押し込み、メールを送信したあとはずいぶん気持ちがたかぶった。赤字への怖さは変わらなかったが腹はくくった。眉毛もきりっとしていたはずだ。
 たくさん調べて色んな人に声をかければよかったけど、最初の座組は5人だった。吉増裕士さん、滝寛式さん、猪瀬青史くん、ぼく、演出助手の野崎詩乃さん。台本は本番2週間前に完成した。日本家屋、1シチュエーション。美術はリビングのテーブルと、書斎のパソコンデスク。子供部屋の布団。ほかは全てバミリで示し、引き戸やなんかはマイムで表現した。
 稽古が始まってまだ間もない頃、稽古終わりで居酒屋に移動してみんなで飲んでいた時、吉増さんが「襖、どうする?」と言った。登場人物はリビングと書斎、子供部屋それぞれの襖を開けたり閉めたりする。全てはマイムだが、本当の襖は開けたら勝手には閉まらないのだ。ぼくは眉間にしわをよせながら「あぁ」と言ってビールを飲んだ。滝さんと猪瀬くんは笑っていた。吉増さんは言った。「やるなら全部やりたいんだよね」。
 翌日から、ぼくが台本を書いている間、稽古場では襖チェックが行われることとなった。俳優が開けた襖を申告し、演助の野崎さんがまとめていく。襖をちょっと開けて顔を覗かせるシーンでは顔を引いたらきっちり閉める。2人で部屋に入る時、先行者が襖を開けて、次の人が襖を閉める。後ろ手で閉めるか、身体を向き直って閉めるかといったこともチェック。
 稽古中盤に来て、台本後半手前までを通したとき、みんなが襖を突き破ったり開いている襖をもう一度開けたりしていた。もちろんマイムなのでそこにはなにもないのだけど、ぼくたちには、というか演助の野崎さんがしっかり見てくれていた。返し稽古の途中、吉増さんが途方に暮れた顔でポツリと言った。「むりだよこんなの」。みんな笑った。言い出したの吉増さんだとみんな知ってるから。それでまたぐっと空気が持ち上がった気がした。
 平日に3日だけやった本番。襖はみんなの手によって完璧に開閉された。本当にすごい。ないけど、そこには襖があった。ぼくも出演していたのでわかるんだけど、ぼくは何度か閉め忘れた。でも誰も気づいていないようだった。

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