ドラマ版「デスノート」の楽しみ方
※批判記事とは少し違います
ドラマ版の失敗とは
初回視聴率16.9%、第2話12.3%、第3話8.7%と、ある意味当然のように視聴率を下げ続けているドラマ版デスノート。世界にもファンが多い、言わずもがなの傑作とされる漫画原作の実写ドラマ化で、放映前の事前情報の段階から大不評を買っていた、そういう意味ではかつてないドラマ。
久しく漫画原作のドラマで騒ぎになるほど大不評を買うという実写化は記憶になかったので、しばらくぶりではないかと思います。というのも、人気漫画がドラマ化され始めるようになった頃と比較して、気がつけば実写化される漫画はほとんど青年誌漫画になっていた気がします。
それはある意味当たり前で、基本的に少年漫画はアニメとの相性は良くても実写との相性はそこまでいい訳ではない。リアル寄りの作風の方が実写化しやすい→自然とプロデューサー達は青年誌の漫画から原作を探すようになったのではないかと思われます。
元々は人気の作品を実写化する事で人気を取り込む狙いがあったと推測されますが、漫画原作がドラマ業界で当たり前になるに従って、眠れる資源を掘ろうとするようになったためか割とマイナー作品だったり、知っている人しか知らない作品にも焦点があたるようになりました。(眠れる資源~云々は勝手な推測です。)
御存知の人も多いように、青年誌の漫画のファン層と少年漫画のファン層は毛色がだいぶ違います。青年誌の漫画自体、極端なまでに個性的なキャラクターが傾向として少ないというのもありますが、少年漫画は特にキャラクターの造詣にこだわって作られやすく、ファンのキャラクターへの愛も青年誌漫画とは遥かに違っていたりします。
ドラマ版デスノートの最大の失敗は、やはりそこを掴んでいなかった事ではないかと思えます。はっきり言ってしまうとプロデューサーや周りの制作陣が勉強不足だったのではないかとも思えます。
2次元である漫画を完全にそのまま実写化するのは無理があるというのは大抵の人は理解できると思いますが、それをふまえてもドラマプロデューサーやテレビ局の多くは、往々にして原作を私物化しやすい傾向があるように見えます。(少なくとも僕はそう感じています。)原作に敬意を払う姿勢があれば、不必要な脚色を無理に入れたり、安易に実写化したりはしないでしょう。マーケティングを怠った結果、原作ファンの誰も求めていないオリジナル性をもって改造してしまった。そして「どう? こういうデスノート作ってみたよ!面白くない?」というある種MAD動画のような事をしているのが、今期放映中のドラマ版「デスノート」ではないかな、というのが正直な印象です。
それでも僕は割と楽しんでいる
一応僕もデスノファンですが、そんなドラマ版「デスノート」でありながらも、それでも僕は今のトコ楽しんで見ています。
ドラマ版「デスノート」は見方を変えてみると、ちょっと印象が変わって見えるので、絶望していた人も少しは楽しんでもらえるのではないかと考えて筆をとりました。前述のように、制作陣に悪いところがないとはもちろん思っていないですし、擁護もするつもりは全くないですが、原作にもキャストの役者さん達にも罪はない訳で、あまりにも酷い数字で終わらせるのも忍びないかな、とも思います。
ドラマ版「デスノート」は、僕は以下のような見方で見ています。
●「パラレルワールド」視点
簡単に言うと、「これは自称デスノートであって、デスノートではない」と頭の中で捉える視点です。別の表現で言えば「日テレの作ったデスノートの2次創作」を見ていると思う事です。
怒りを覚える要因として、「これが公式制作である」という点があるかと思われます。しかし原作ファンの多くが認められないほどの変更を及ぼして幻滅するほどなのだから、それなら頭の中で「認めない」と開き直ればいいのではないでしょうか。
キャラクターも同じで、「これは月と呼ばれているが月ではない」「これはLと呼ばれているがLではない」「こんな人物は本来存在していない。ああ、この世界にはこんな人がいるのね」と捉えて見ると、案外割り切れたりします。
制作陣の思惑とは違う視点で、原作(デスノート)とは違う異次元の世界を見るつもりで視聴する事が大事だと思います。
そうやって見てみれば、カロリーメイトっぽいものを飲食している人物や、「また勝手な事を…」みたいな台詞をよく言う人物など、オリジナルキャラクターとしては結構面白いキャラ付けだと思えてきます。オリジナルキャラクターとして。
●「トリック重要視」視点
デスノートの魅力はキャラクターもそうですが、メイン2人のいろいろな手を駆使してのやり取りや駆け引きにもあります。
あくまで第3話まで見てみた限りなので今後はどうなるか分かりませんが、キャラクター設定やところどころの展開が変更されたりはするものの、それらの仕掛けや駆け引きなどの手法はドラマでも使われています。
原作のキャラクターの面白さを楽しむには、そのキャラクターたちがいないので無理ですが、その代わりそういうトリックなどに楽しみを見出してみるのもドラマ版の見方として有りではないかと思います。
ただ主人公は天才的知的キャラという設定を排して普通の大学生に変更したせいか、トリックの最後の最後で躓いて危機に陥ったりもしますが、そこは前述の「パラレルワールド」視点で凌げばいいのです。
●主人公の変化の兆し
第2話まで見てみて「ああもうダメだ…限界だ…こんな優しい月は見てられない」と、第3話から見なくなってしまった人もいるかもしれませんが、ちょっと勿体ないかな、と思います。第3話では「悪そうな月」がどんどん増えているのです。
第3話まで見て「もしかしたら制作陣は変貌していく主人公を描きたいのかな」とも感じた回です。原作では初めから冷徹な人物でしたが、100%同じとはいえずとも原作のような「悪そうな顔」がこれからも見られるようになるかもしれないので、その辺は注目しています。(とはいえ、未来の事は分からないので責任は取れませんが(笑))
●<番外編>笑うために見る視点
楽しみ方としては邪道だと思いますが、あまりの変更に、逆に違う意味での面白さを見出して視聴するという見方もあります。第1話を見て、笑いすぎて肋骨を骨折したという人のツイートがネット上でちょっとしたニュースにもなったそう。
確かに主要人物の一人が人形になってしまった時点で、そのキャラクターの活躍する回は原作どおりにならないのは確定でしょうし、複雑ではありますが、こういう見方も致し方ない気もします。「笑った」という人の気持ちも分からくはないですしね…(^^;)
●NGな見方
初回放映後のTwitterの反応で「ダメな所を指摘する為に今後も見続ける」というツイートを見かけた事があるのですが、こういう見方はどうかとも感じます。
1回きり放送のドラマスペシャルで「ここがダメだった」と指摘するのとは全く違っていて、連続ドラマでそれをやるというのは「最初から今後も悪いと決めつけている」固定観念での指摘であり、つまりは粗探しになってしまいがちです。形は違えど、特定の芸能人に粘着して一挙手一投足についてDisりまくるのと、やっている事はたいして変わらないように思えます。
いろんな人が言うように、「そんな事するエネルギーを、もっとプラスの事に使えばいい」はずです。見たくなければ見なければいいと思うし、誰も得しないのに怒りを覚えながら見続けてネットでDisるって、どこにもメリットはない訳です。だったらその時間を自分のためでも他人のためでも、もっと有意義に使った方がいいですよね。
以上のような見方で見てみると、案外ドラマ版「デスノート」は楽しめるのではないでしょうか。
ただまあ、原作ファンの皆がやはり懸念としてあるのは「新規で初めてドラマから入る人が、これがデスノートなんだと思ってしまう事」ではないかとも思いますが……;
個人的には、2部はまだ実写化された事がないので、(1人は女性に、もう1人は人形になってしまったので、一部カットされる可能性もありますが)その辺りも注目しています。パラレルワールドとして(笑)
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