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夢遊病 深夜徘徊 逃避行

「むゆうびょう しんやはいかい とうひこう」
声に出したい日本語をついに産み出してしまった!
コピーライターになれるかもしれない!
人生は案外こうして流転するものだと思っているので、このあたりでわたしが移ろいゆくご時世のなかで自分を救い果ては他人をも救う手がかりとなればという気持ちではじめた占星術やカードを引いて直感的に気持ちを落ち着けたり変えたり考え方に作用するような行動、そして幼い頃からずっと心身のバイオリズムを握られている月の満ち欠けになぞらえて、ひとの音楽にアプローチしていくターンがついに来たのではないのかというまさにこのとき、万物の流転をみるのです。

いま、音楽家(と呼びます)の方から「月の周期に振り回される体質」であることを聞かされました。
なのでここから話そうか。
冒頭に書いた帯文にしたい言葉がもうひとつあり、「新月に呑み込まれ 満月に突き刺される音楽」というフレーズなのだけれど、まさにそれは深夜徘徊と同じで、真夜中に人間を浮遊させる力のあるものとしての月齢とのシンクロ。
きっと深夜の散歩といっても新月と満月と恐ろしいほどに大きなチェシャ猫の口(不思議の国のアリス)のような三日月では浮遊感が違うと思うし、重力がまず違うので、人間は通常状態ではいられないんですよ。
それが1曲目の「嘔吐」。嘔吐って通常状態ではないよね。
聴き始めたあなたはもうすでに通常状態から逸脱した処に居ます、それがどこかはわからないけれど。聴いたひとによるかと思うが。
深い音と躓くリズムは夜の深さと冷たさと、水の上を歩くような浮遊感、挟み込まれるノイズは聴き手のこころの迷いと闇の狭間の一瞬の煌めき。正常ではいられない真夜中の奇行と思考。
2曲目の呪的逃走は表題曲なんだとおもうけど、サブタイトル(?)「hair,comb,and mirror」というのは彼女から言及あったかしら、なかった気がするのでわたしなりに。
これは正直なところ女性だから理解できるワードでもあると思っていて、まあそういうのって前衛的ではないかもしれないけど、追手から逃げる時の飛び道具というか鏡みせたら消える幽霊とか神話にある3枚のお札とかあるじゃないですか、西洋にもありますよね、それにも通づると思っていて。
呪的逃走に用いるとともに、女性にとっては御守りになり得る。「髪、櫛、鏡」、からだから引きちぎった髪の毛や、裏返しの世界と繋がる鏡をもって、わたしたちはこころを携え生きる。
女性性を強く感じたのはわたしがきっとこういったものに護られて生きてきたことや、満月を映す鏡や新月の夜に櫛を桶に漬け手入れするなどの行為を知っているから。
それは手放すことができない永遠の少女性の象徴のように。
3曲目のAshは物語が大きく動くという、そんなイメージがあります。
突然ですが、これを読んでいる方で「toe」というバンドをご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。
Ashには、その系譜が受け継がれつつ彼女の鳴らしたい音が鳴っている。そのメロウさとか変幻自在な展開だとかは彼女の言葉以上に遥かにずっと雄弁で、核となり彼女を知るヒントが凝縮されている曲になっているように思う。パーソナリティにピントを合わせてわたしは聴いたんですけど。好きなひとのことって知りたいじゃないですか、そういう気持ちです。キモいか。まあいいか。
アルバムにおいて3曲目ってここまで到達した(聴いた)ひとにだけ与えられる世界なんですよ。
大抵のひとは2曲目がハイライトだからそこでやめたりするんだけど、3曲目まできたら音楽家のやりたいこと表現したいこと言いたいことがいきなり溢れてくるフェーズが来る、ここからが本題なのに!
とりわけAshというタイトルのその空虚さとかこれはもう満月がそうですねスーパームーンあたりがやってきてその光の強さに「月が綺麗ですね」なんて言うことすらできずただただ喰らってカーテンを閉めてしまうような、(天空の城ラピュタでポム爺さんが飛行石の強い光に思わずワシには強すぎるんじゃと言うシーンあるよね、あれ)つよい月明かりが胸に突き刺さって起きていると力を奪われてしまうので昏昏と眠ってしまうような、そんなときに聴きたいしたぶん流れてる。
とりわけ大きな満月というのは月が地球に近いので重力のバランスが乱れる、それに引きずられてひとはハイになったりローになったりする。
聴き手によってはハイになるかもしれない。
危険な合法音楽(music)かもね。
4曲目のかわいそう、はイントロのギターが出したい音!という感じで気持ちが良い。
ほら、だって歌詞も「外に出なくちゃね」だし。(書いてから読むな)
引き続き強い月の光と重力に身体引きずられたまま眠れなくてどうにかしたくて朝がきそうで浅い睡眠を続ける頭の中に流れてる音楽。
たとえるなら、school food punishmentの「04:59」あたりの話。明け方の交差点を彷彿とさせる。
そこで僕が、わたしが、それぞれの「一個体」として交差したならば。深い夜についに貴女と出会したとわたしは思うのです。
次の曲不安の森はかわいそうの浅い睡眠のまま朝になるのがどうしても嫌で仕方がない、目覚めた瞬間の絶望やそのまま不安をピアノの旋律に落とし込んだような音がする。
森って不安しかないよね、ヘンゼルとグレーテルみたいな。
迷いの森からは出てこられないし。
6曲目のジルベール・コクトーは、原作のことは知らなかったけどフランス人の名前だ〜と思って。ジャンコクトーのことしか考えずに1回目を聴いてしまったことをお詫びします。
つまりまずタイトルに惹かれた。人格を持つ音がする、明確な意志がある音。ひとの名前なので音にも宿るものが他の曲とはすこし毛色が違って、閉塞的な夜や闇夜、前曲の不安の森を抜けた先の物語のよう。それまでの5曲が内向的でギュッと閉ざされたものだとすればこれは少し開放的でようやくこころを開いてくれた、あなたの名前はなんですか?とようやく訊ねることができるような曲。 

そしてこのアルバムを作成した音楽家の名前は、
bakuさん。

そして7曲目、多くのひとがもう触れてしまっている最後の曲「Ice Age(氷河期)」についてはわたしが書くまでもないですが。
ナウマン象が見えます………とはならないのがいいよね。
朝になったよ。
長い夜が、それがたとえ新月でも満月でも、その深く不快な夜が明けて次の朝へ。いままでの6曲が幻ですと言われればこの曲で現実に戻ります。
新月だとしたらまっさらに新しい朝という希望となり、満月だとしたら重力に逆らういちにちをはじめる気怠くもいつもの朝となるような。

深く長い夜に寄り添ってくださりありがとうございます。
わたしも言葉が気持ち悪いことを知っているから隙間を埋めるように書きました。



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