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【ボツネタの種まき】優しくない私の、鎮魂の話【希里峰の苗床】

 いつもお世話になっております。
 虎徹書林所属文筆家の希里峰です。

 お久しぶりのボツネタ供養エッセイです。
 今回は悩みに悩んで全体公開することにしました。
 季節柄タイムリーな話題に触れたというのが一つ、昨今の現世ウツシヨ情勢への思いが多分に入ってしまったというのが一つ、私という人間を作る「部品」を知っていただく良い機会になるかもという期待が一つ。この三つが重なることに気付いた時は、即座にお蔵に入れるのを検討しましたが、推敲しながら文中に出てくる人たちへの供養にも繋がるかもしれないと考えを改めたものです。
 現状は『全体公開記事(つぶやきは除く)はコメントを開放する』の方針で運営しておりますが、なるべくでしたら、この記事の御意見御感想は皆々様の胸のうちに留め置いていただくことを願っております。そして、どこかで鎮魂の祈りのタイミングがやってきたならば「嗚呼あんな記事を読んだなあ」と思い出してくださいませm(__)m


今回のボツネタ

※今回のボツネタはメモの内容をだいぶ端折って書いています。

中学一年か、二年か。
夏休みに某所市場へ、家族と友人家族、大勢連れだって行った。
両脇に青や橙のテントがズラリと並んだ市場は大変な賑わい。
人の波は一方通行なのに、進行方向の側から「何か」が近寄ってくるのが分かった。人混みがそこだけ円状にぽっかりと、空いている。
近寄って来る空間の真ん中には、小さい人が一人いた。45式の帽子を被り開襟シャツの旧日本陸軍の制服を着ていた。両方の太ももの、関節では無いところで膝立ちしたみたいな格好で、残りの脚の部分を重い砂袋を引きずるみたいにして歩いていたから「小さい人」に見えたのだった。
よくみれば、帽子も制服も泥だか何だかよく分からない汚れがこびり付いていてボロボロ。力なく揺ら揺らしながら、包帯?で口元に固定したハーモニカを吹いていた。その時、制服の袖がやけにひらひらしているのに気が付き、腕が無いんだ……と思った。
すれ違う時、ぶつかるかもとは微塵も考えてなかった。軍人さんが通り過ぎたら、このぽっかり空間は閉じて、雑踏に飲み込まれるのだとそればかり気にしていた。
呆然と「その時」を待っていたら、ぐい!と二の腕を掴まれ「迷子になるからちゃんとついてきなさいとあれほど言ったのに」と怒鳴られた。母だった。
「軍人さんが居た!」と言ったら「そんなの居るわけない!」とまた怒られた。
振り返ると人混みの中にそれとわかるぽっかり空間は無かった。

【傷痍軍人さんとすれ違った話】

 これは実際に経験した話。
 夏の殊更暑い日に思い出しては、腹の底に飲み込む話。
 その昔、何度か話す機会があったけれど、その度にまともに取り合ってもらえないからと、一人で考えたり調べたりを繰り返している。

 傷痍軍人という言葉を知ったのも、調査の過程で成人式を過ぎてからの事だった。
 この話を一回整理して、一区切りをつけようと思った理由は自分でも分からない。昨今の情勢でいろんなトリガーが引かれたのかもしれないし、虫の知らせ的なヤツかもしれない。
 ハッキリしているのは、この話は今後もずっと、事あるごとに向き合うだろうということ。それ故に物語として他人様の前にお出しする形に加工しきれないままなんだろうな、ということ。とはいえ、私というポンコツフィルターを通してでも、この世の何処かに残しておきたいという願いは消えないこと。
 3000文字強、普段ならばサクッと読めますよとおススメするところだけれど、テーマが重量級なのでマジで御時間有る時に(めんどくせえなとお思いでなければ)お付き合いくださいませ。


優しくない私の、鎮魂の話

 戦争という行為について、具体的には戦争を起こす者・その後ろでぬくぬくする奴等が嫌いだと書いた。

 傷痍軍人というのは、その真逆で、自らの意思とは関係なく始まった戦争の最前線に立ち、命からがら帰って来た人、というのが私個人の認識。それについては様々意見があるだろうけれども、一個人としてそういう認識に至るには、ボツネタ紹介で書いた体験とそこから始まる長い長い考察の日々の由来があるということで一先ず「飲み込んで」いただきたい。

 今日の供養エッセイは、未だ終わりが見えない(たぶん一生かかっても終わりなんて見えないんだろう)考察の、暫定的まとめレポート……のようなもの。
 お盆の時期になると二発の爆弾と水木しげる先生のエッセイ、玉音放送等々に思いを馳せる方が多い中、私には傷痍軍人さんの「思い出」が必ずと言っていいほどそれらのいずれにも付随して浮かび上がってくる。


悩みや苦しみに寄り添います、という言葉を信じて打ち明けた日々もあった

 ボツネタメモに書いた通り、雑踏は軍人さんを中心に左右に拓き、ハーモニカの音も間違いなく聞こえていた。
 メロディーは覚えていないが、その頃に流行っていた映画に準えて「わ、ビルマの竪琴みたいだ!」と思ったほどうら寂しく、けれども知らんぷりするのはためらわれる妙な説得力ある音色だった。
 オバケでもなんでもなく、彼はそこに『居た』のだ。
 親や友人や友人の親に、何度も詳細を説明して、むしろあなた方は何故気付かなかったのかと食い下がった。
 それでも誰もが「見てない」の一点張り。それどころか迷子になって心配をかけたことを先に謝りなさい、へんてこな嘘でみっともない言い訳をするんじゃない、と全方位型説教を喰らった。
 泣いて抗議してみても、埒があかなかった。
 わかってもらえない悔しさよりも、直面した『不思議なこと』とどのように向き合えばいいか分からない不安が勝っていた。
 私とあの場所ですれ違うに至った軍人さんの過去と私しか認識していないという理不尽な現在、そして私たちの未来を想像することを、理解しなくてもいいから共有して欲しかったのかもしれない。
 折を見てそれとなしに再び話すこともあったけれど、大抵は「嗚呼、また始まった……ハイハイ」と往なされた。
 大人になって家族や友人以外にも話してみたが大概反応は同じ。怪我をした軍人さんのイメージを伝えたところで、モウ結構デス……という顔をする。そのうち人は見たいものしか見ないという説に出会い、私はこの話の共有を諦めた。


生きたいように生きればいいんじゃない?と言うしかないじゃん。だけどさぁ……

 私は常々、スタートとゴールはセットだという認識で居ることを書いたり話したりする。
 人は生れた瞬間から、死への道を歩み始める。
 しかも自然界に生きる動植物同様、その寿命は必ずしも天寿を全うできるとは限らない。誰かの食い物にされ、病み、疲れ果てて……自らの死を願ってしまうかもしれない。
 よく「ハッピーエンド、もしくは出てくる人みんなが幸せに退場していく物語しか読んだり見たりしたくない」という声を拾うのだけど、そんな時は不安と苛立ちとでたまらない気分になる。
 命の営みを冒涜してるのかこの人は?と糾弾したいのではない。
 見たいものしか見ないというポリシーを徹底して心の清らかさを保つというのは、並大抵の精神力では持続できない。実践している人たちはほんとうにキラキラと人生を謳歌しているように見え、むしろ羨ましいくらいだ。
 だからこそ、心配になる。という話。
 見たくない現実に直面したとき、この人は人生を握りしめていることができるんだろうか?と大いに不安になるのだ。
 見たくないものを認識すると、世界の様相が一変する。色相が、解像度が、否応なく変わってしまう。その変化をこの人は受け入れ、乗り越えられるのだろうか?と。
 なんとなれば。
 その変化に押しつぶされたのが原因だろうとしか推測ができない「或る子」――誰にも何も打ち明けず「不明の自死を選んだ子」を知っているから。
 自らが望むと望まざるとに関わらず、知りたくなかった世界の有り様を目撃してしまうことは、誰にだって起こり得る事態だ。甘えるな、乗り越えろ、とは言わない。そんなことを言えた立場ではない。けれど、共に「世界の残酷さ」を眺める仲間が一人でもいたなら、命のゴール地点をもうちょっとだけ遠くに設定することができたかもしれないのだ。
 見たいものだけ見る。けっこうなことだ。
 だからこそ、見たくないものを見てしまうかもしれない可能性も考慮して欲しい。その時は恥じることなく、そばで一緒に見て!と叫んでもいいのだと言いたい。


本当は「テメェは自分のことばっかじゃねえか!」と言って、一緒に泣きたかったよ

 昨今、葬儀はせずとも良いと考える人が多いという。
 自分が主役だというだけで、晴れがましさに恥ずかしくなるのだという。また、ただの「物」に成り果てた自分のために、生きている人たちの時間や労力を使ってほしくないのだという。
 私も、成人式には出席せず晴れ着姿を写真館で撮って終わらせたし、地味婚だとかなんとか、結婚式にかけるお金をケチる口実にこれ幸いと乗った。晴れがましいのが恥ずかしいというのは、なんとなく肌感覚でわかる。恥ずかしい故に、残された皆様のお手を煩わせることに抵抗があるというのも、わかる。
 しかし、それこそは死という概念に対して失礼であるような気もしている。
 赤ちゃんが生まれるのはそりゃめでたいが、天寿を全うし体というくび木から解き放たれた魂を静かに労い見送るのもまた、尊いことではないだろうか。
 それに、前述の「或る子」の事件が示すように、遺された側が死を受け入れるのがつらい……それこそ、見たくないものをつぶさに見なければならないケースも在る。一人では直視できなくとも、似通った気持ちを抱える者どうしが肩を抱き合い涙を流すことで、徐々に受け入れる状態が整っていく。
 死者の願いも尊重されるべきとは思うけれど、未だ現世の残酷に取り残される者の視点と時の流れを蔑ろにする理由にはならない。
 割れたガラスが元には戻らないように。
 丸めた新聞紙のシワが、二度と取れないように。
 生と死の狭間で、逝くものと見送るものが思いを交わすチャンスには限りがある。


生きてる人の魂が安らかなれば

 私がすれ違った(と信じている!)傷痍軍人さんは彼岸の光景を体ごと焼き付けて帰って来て、ハーモニカを吹き彷徨っていた。
 自らの意思で彼岸に飛んだあの子は、もう誰ともこの世の景色を共有することはない。
 見たくないものは、そりゃあ誰にだってある。
 見たくないものを見てしまったら、その戸惑いと寂寥と哀しみ混じりの怒りは、どうやって癒せばいい?
 その答えを、葬儀であったり、鎮魂の儀式であったりに求めることは、私は悪い事ではないと思う。やたらと忌み嫌ったり、縁起を担いだり、面倒くさがるのも、それぞれの事情でもって「見たくないものは見ない」という宣言の一種なのだろう。だからといって、その機会を他人からも遠ざけるというのは些かやり過ぎなのではないだろうか。
 死者が唯一の主役であるように見えても、その実は、遺された人々の魂も等しく癒される。それは、原始から続く弔いのカタチ

 私とすれ違ったあの人が令和の世において存命だとは思うのは現実的ではない。にもかかわらず、今もどこかで戦友たちを労い、鎮めるために、歩き続けているような気がする。
 すれ違いたくてすれ違ったわけではない。
 出会いたくて、あの日、市場に行ったわけではない。
 それでも、あの瞬間には何らかの「意味」があったのではないか、とこうやって考え続けている限り。

 そして、今年もお盆がやって来る。
 傷痍軍人さんが戦地で目撃したであろう数多の兵隊さんたちの魂が安らかでありますように。傷痍軍人さんのような寄る辺なくハーモニカを吹く人が、これ以上増えませんように。
 見たくない景色の中にも一輪の花のような希望を見出いだせますように。
 解像度が上がった景色に絶望することなく、ありのままの世界を美しいと思えますように。不安と恐怖を暴力に変えるのでなく、共に乗り越えられますように。
 ただ、祈ろう。





最後までお読みいただきありがとうございます

 執筆者:希里峰ぽんぱ

 

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