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シャンバラと緑龍会について

私たちは野蛮

シャンバラへゆく途中には、関所のようなものがあるという話を、前にも聞いたことがあったのに、『瞑想と夢見(14)』を読むまで、私はすっかり忘れていました。というのも私は関所を通った記憶がなかったからです。

私がシャンバラに入った時は、関所は通らずそのまま中に入り、屈託のない、笑顔の絶えない子たちと、たくさんの階段を使って走ったりして遊びました。
ただ私は、ある1人の子と、2人っきりで話したかったので、ほかの子を撒こうとしてしまい、みんなが探してくれているのに、階段の影にじっと隠れていたことがあります。
あとから申し訳なくなり、影から謝罪の手紙だけ差し出して謝りましたが、そういう振動の低い所業は彼らには認識されないのか、子供たちはまったく気にすることなく「あ!そこにいたんだー!」とニコニコされたのです。
「何でそんなところにいるの?」とか、「一緒に遊びたくないの?」とか、「いいよ許してあげる!」という反応は一切なく、多分、そのような発想自体がないのだと思います。私が「隠れていた」という認識もされず、ただ居なくなった人が見つかった、それだけなのです。

私たちは地球の子供同士が「ごめんね」「いいよ」というやり取りをしているのを見ると、まだ純粋でかわいいなどと思ったりします。でもシャンバラでは「ごめんね」の原因になるものすら発生せず、認識されません。それがシャンバラの振動密度なのだと思います。

シャンバラ人に比べて、私は比較にならないほど汚れていると感じました。
それでも、関所は知らぬ間に通り抜けていたのですから、一応入ることは許されているのです。でもシャンバラの子供たちに比べたら真っ黒だと感じるし、恥ずかしくなります。
この地球は監獄なのだという話もありますが、私たちは本当に汚く、野蛮で、躾がなっていないのだと思わされる出来事でした。

このようなシャンバラに、もし地球人が押し寄せたら、シャンバラは一瞬で消されると思います。そのためにも関所が必要だというのは、とても納得のいく話だと思いました。

緑龍会と会った記憶

私は緑龍会(関所)とは接触していないと思っていたのですが、シャンバラ関係のメモを見返してみると、接触していたメモが残っていました。

顔に苔のようなものが厚く付着している男性とお風呂に入っている。
「それは何?」と聞くと、「病気みたいなもの」との返答。
男性が性行為に誘ってきたので応じる。

顔の苔は、シャンバラの手前に居座っているために付着した、外界からの汚れとか、そもそも緑龍会の人たち自身が、「間の存在」という意味では汚れなのかもしれません。
このメモを読んで、この夢のことを詳しく思い出しましたが、はじめは男性のほうが優位な印象だったのに、男性が私を性行為に誘った時点で、一瞬で私のほうが優位になった印象がありました。
男性は、自分が優位であることを表面上は保とうとしており、私もそうさせてあげようと思っていますが、でも明らかに、立場は逆転していました。

チューリップの葉

最近の緑龍会とシャンバラの夢見では、私は冒頭で、花の付いていないチューリップの葉を撫でていました。チューリップは球根植物ですから、地面の下にある球根がシャンバラを表し、それを土の上で守っている葉っぱが緑龍(会)です。私はそれをまるで猫を撫でるかのように撫でていました。

たぶん、シャンバラに入れる人にとっては、緑龍会は関所として立ちはだかる存在というより、濁った場所に留まらなければならなくなった人柱のような存在であり、今日も頑張ってるねと挨拶をするような関係になってしまうのだと思います。

でもシャンバラに行こうと試みる人が、まだ地上的な生活がかなりメインになっていて、価値観も必然的に地球的である場合、緑龍会は警察のように規制したり、怖い顔で立ちはだかったり、あたかも恐ろしく厳しい存在に感じられるのだろうと思います。

シャンバラに入れない人の妄想

noteのメンバーシップで夢見の会を主宰していますが、そのメンバーの方たちに、シャンバラに行ってもらうミッションを出した時、私の夢に、シャンバラに入れない人が登場してきました。

夢ではトンネルの中に家具とかさまざまなものが置いてあり、その影に何かがいると言って、怖がってトンネルを通れない友人がいました。
私は鎌を振り下ろし、カンカンと音を鳴らすことで、こうすれば怖くないよと勇気づけるのですが、友人は怖がってしまいダメでした。そもそもなぜこんなに、トンネル内にものが詰まっているのか。これではまるで血管が詰まっているみたいです。そのうち、友人の恐怖が私のほうにもヒタヒタと迫って来て、私まで包もうとするので、私は何度も鎌を振り下ろし、必死に振り払っていました。

鎌というのは、13死神のカードの鎌で、地上的なものを刈り取るのですが、怖がっている友人(特定の人ではない。夢の中で友人と認識していた知らない人)の妄想は膨れ上がり、刈り取りが追い付かないのです。

こういったものを持ち込まない人でないと、確かにシャンバラには入れないだろうと思いますし、また常にこういうものにさらされている緑龍会も、なかなか大変だと思いました。

緑龍会の意地

私は緑龍会の人柱としての苦難や、弱気になっている部分を見て、彼らをすっかり大人しい猫のように見てしまっていましたが、その後の夢では一転して、彼らの意地や信念のようなものを見ました。

それは、もし金星やシャンバラが左の柱だとしたら、緑龍会は右の柱だというようなメッセージでした。守りとか、信念を貫く、意地を通す、そういう気概でやっているのだという突っ張った感じが伝わってきました。「シマを守る」と言えば良いのか、文字通り「命を懸けて」やっているのだから甘く見てもらっては困るという感じでした。
しかしその突っ張りよう自体が、元気に頑張ってるねという感じもします。

私にとって右の柱、彼らにとって左の柱

もう1つの夢では、洞窟の中に腰の位置まで澄んだ水が溜まっていて、私はその中をゆっくり歩いていました。奥のほうの色の変わった石を踏んだとたん、水面に緑の藻のような膜ができました。
私はこれが害があるのか無いのか判断できず、とりあえず水から上がることにしました。
階段を上がり、もう少しで日の光のもとに出るというところで振り返ると、後ろから藻が龍のようになって追いかけてきていました。しかし、50センチぐらいのところでピタッと止まり、様子を見ています。
私は思わず右手を突き出して静止するように合図しましたが、龍はそれを好機とばかりに、右手に飛びつきました。

私にとって、緑龍会の行動は右の柱的な能動性だとすると、緑龍会はそれを中央の柱として立っており、彼らにとって左の柱は、私の中央の柱ということになります。
私は右手で「静止」させたつもりでしたが、彼らにとっては、待っていたら降りてきた左側の通路だったのかもしれません。

今後すぐにではないと思いますが、緑龍会は徐々に解散してゆくのではないかと思います。まだ「シマを守る」気概はあり、やめるつもりはなさそうですが、しかしいつか関所を取り払うつもりではないかと思います。
それはどのように変わるためなのか、まだ分からないですが、ゆっくりと変化してゆこうとしている分子がいると感じられます。

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