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(外国語報道を読む)イーロン・マスクがエスペランティストをツイッターから追放する

イーロン・マスク氏による混乱がエスペラント語の使用者であるエスペランティストたちをツイッターから追い出すのではないかとタイトルが付けられた同記事だが、確かにツイッターを買収して以来、ツイッターには日々大きな変動が起きているとは思う。

だが、この記事を読んでも理解できないことがある。今のツイッターに何らかの変化が起こった場合、エスペラント語を使う人々にどのような損害があるのだろうか?エスペランティストがツイッターに対して悲観すべきことは何だろうか?

私はツイッターの使用に何らかの前提条件がつき、エスペラント語で呟けなくなる、あるいはツイートできる回数が制限されることが一番リスクがあると考える。言語使用の制限はエスペラント語の生死に直結するからだ。

確かにツイッターの登場はエスペラント語に新しい語彙をもたらした。例えば「鳥がさえずる」、「鳥のような声でしゃべる」という動詞"pepi"にいわゆる「ツイートする」というような意味が加わった。そこから派生してpepulo(ツイート主)などのネットスラングが増えていったのだ。だが、ツイッターでエスペラント語に活躍の場が増えたということは間違いないが、エスペラント語の根幹を根ざすようなライフラインまでには達していない。

異世界転生するエスペラント語


ツイッターで仮にエスペラント語が使えなくなった場合、エスペラント語に何の影響があるだろうか。そんなことはないだろう。筆者は基本的に将来に対して楽観的である。

というのも流暢なエスペラント語の話者数は減退しつつあるとは思うがすでに生まれてから一三〇年が経っている。その間にその話者たちは二度の世界大戦も弾圧も世界各地で体験してきたにもかかわらず、私を含め、いまだに使用者がいる。昨今では無料語学学習アプリDuolingoで手軽に学べる外国語として表舞台に電撃的な帰還を果たした。

エスペラント語が二〇一七年の『ことのはアムリラート』に大々的にエスペラント語がフューチャーされて以来、日本におけるエスペラント語環境だけがガラパゴス化したように感じる。それまで国際語、国際補助語と自称していた、あるいは他称されていたエスペラント語が架空の世界の言葉になったのだ。デジタル世界に突入した二〇一〇年代はまさにエスペラント語にとっての異世界転生の始まりだったと言えるだろう。エスペラント語はさぞびっくりしたに違いない。

Libera Folio紙ではマスク氏の「自由な自己表現」が異なるさまざまな問題を引き起こす可能性があると書いているが、エスペランティスト、というより「エスペラント語を用いた自由な表現をしたい人」にとってエスペラント語自体がBanされなければ本質的には困らないと私は考える。これはあくまでエスペラント業界外のことを指していると思うが…

例えば偽装やなりすましアカウントなどを用いているなどは別とし、今回のイーロン氏の意向が何らかに働いたにせよ、エスペラント語を脅かすとリスクは少ないと私は思う。

マストドンのエスペラント語?

そしてマストドンである。マストドンのエスペラント語サーバーにエスペラント語話者たちがツイッターから引っ越ししたとしても、ツイッターとマストドンで何が変わるのだろうか。というよりも、イーロン氏の改革を嫌ってエスペランティストたちがマストドンに移動したとしても、ツイッターでできたことが分散型のサーバーであるマストドンで、100%できるとは限らないのだ。

一応同紙では避難先?としてマストドンのエスペラント語サーバーへのアクセス先が開示されているが、マストドンではむしろ同じ好事家同士の集まる密度が高すぎてSNS業界におけるエスペラント語の発展はむしろ衰退するのではないかと個人的に思っている。むしろ、「ツイッターの方で強く活発化するのではないか?」とも思いながら、イーロン氏の改革とエスペラント語の関係を眺めているのである。

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ID 141372778 ©Boumenjapet|Dreamstime.com

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