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「好き」の因数分解がびびっときた話

最果タヒさんの「好き」の因数分解を読んでいます。その中でびびっときた部分を私の独断偏見で挙げていきます。

①鮮やかな、美しい表紙

まず、表紙です。本当に色鮮やかで美しい。本なら中身やろ、と思われるかもしれませんが、やっぱり表紙は大事だと思います。ファーストインプレッション。目に鮮やかなショッキングピンクと黄緑と水色が私の世界に飛び込んでくる。見た瞬間、恋に落ちました。

②信頼してる、ということ

私が最も好きなのは「何でもかんでもオープンにすることが、本当に信頼の現れかどうか」ということを投げかける、冒頭の「ミッフィー」の文章。

「すべてを見せることが、なにもかもを伝えることが、私たちに本当に、必要なことなんだろうか? そうではなくて、お互いがお互いを、たったひとつの「心」なんだと尊重しあって、すべてを見たがらない、暴こうとしない、ということこそが「関わる」ということなんじゃないだろうか。」
(「好き」の因数分解「ミッフィー」より)

もうこの文章にしびれてしまいました。閃光が身体を貫いて「好きだ」と思いました。そうそうそれそれ、と言葉にできずに自分の中でもやっとしていたようなところを言い当てられた、まさしく「それ」でした。

すべてさらけ出せればみんな仲良しになれる、繋がれるっていうのがどこか苦手で、首をひねっていたあの感覚が、形に、文字に、言葉になる。文字でなかったものが、言い表せなかったものが表されるって、こんなにうれしいんだって感覚がありました。

あと、もうミッフィーからそう感じるというのが脱帽というよりほかありません。

③わけわからん! でも! スピードがある!!!

現代詩「燃える」を紹介するときの一文です。
大好きな感覚です、本当にそれ。書いていて思います、本当にそれ。自分…何書いてるんだ…と思いつつ、何かスピードがある!!! 手が止まらん!!! って感覚。この感覚は今のうちや、今のうちでないと絶対出てこないわって思うときがあります。こんな同人の文章を書いている端くれでもそう思います。そんな生命力のほとばしっているさまを読み手にも感じてもらえたら、書き手にとってこれほどうれしいことはないだろうなあとも思います。そうか…あれ命削られていたんか…って思う。でも、そう思うと納得です。
「燃える」ぜひ読んでみたいです。

④3層で書かれるテキスト、ろ過されて浮かび上がるもの

本書の帯に「48の「好き」を、3層のテキストで書き分けるという挑戦。」とあります。開いてわかるのですが、本当に3層になっております。

これも不思議な感覚なのですが、そのような試みをすることで、「私そのもの」、もしくは「生きる」ということ……と本文には記されているのですが、その人の中にしっかり根付いているその人となり、その人の暮らしが立ち上ってくるように思えるのです。

幾重にも「好き」というフィルターを張り巡らし、そこからろ過されてこされてきたとでもいうべきでしょうか。数学的なかたであればx軸とy軸から浮かび上がってくるz軸とも例えてきそうです。

平面的なはずの文章が立体感を、現実味を帯びてきます。純粋におもしろいなあ、と思いました。

④文章と「対話」する感覚

読んでいて終始こんな感覚で、不思議な体験でした。
書いてあることの全部が「わかる」ってわけじゃないんです。見出しのように感じるのは、文章との相性の問題も少なからずあると思いますが、それだけじゃないだろうなとも感じます。
本が一方的に語って終わりじゃない、読み手が一方的に吸収して終わりでもない。読んでいると、まさしく本のほうが読んだことによって生まれる私のあれやこれ(感情とか涙とかよだれ…後ろふたつは本からの引用ですが)を吸収してくる…!? 何!? ってなります。

それによって感じるのは、ほっとする、息のつける、ここにいていいんだよって言われている感覚。居場所というか、読み手の受け入れ先を本が持っているような感じがします。文章の優しさだと思います。

「きみのことなんてぜんぶはわからん、けど、きみはそれでいいんじゃない?」って言われているような、全部わかるよ〜って同意されるわけじゃない。「私は〜だ」と字面だけでは突き放されるように思えるときもある。でも、それがまったく冷たく見えない、懐の深さ、あたたかみがそこにはありました。

それがもしかすると、本書の帯にも書かれているとおり、「愛」……なのかもしれない??? ということを思ったりしました。

ちなみに、私が中でも好きなのは、冒頭であげたミッフィーのほか、プール、クロード・モネ、インスタグラム、書くことの章、おすすめです。


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