2017 東京学芸大学 E類教育支援専攻 表現教育コース 推薦入試 小論文 模範解答

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 私は学校の美術の時間に、土方巽の舞台公演「夏の嵐」を見た。私は、この公演に感動するとともに衝撃を受けた。なぜなら、これまでに私が見てきたバレエやダンスなどとは、まったく異質な動きを見たからだ。土方巽は舞踏家であり、彼の舞踏は暗黒舞踏と呼ばれていることを知った。この暗黒舞踏の表現の芸術性は、大きく二つあると考えられる。
 第一に、人間の身体そのものを物体として表現する点にあると考える。西洋の舞踊、ダンスには一定の型がある。しかし、暗黒舞踏はまるで型を破壊するかのように見える動きが非連続的につらなる。それは決してでたらめな動きではなく、人間が離れることができない身体そのものに直接的に向き合おうとしているように見える点に芸術性があると考える。というのも、暗黒舞踏の動きには、次にどんな展開が起きるか、どんな風に行動するのか、一つ先の動きすら予測することができない偶然性があり、その奇怪とも言える動きは、物体としての人間の身体そのものをごろっと出してきたような表現であり、人間の身体そのものに初めて出会ったような感覚を覚えるからだ。
 第二に、西洋のダンスにおいて見られる特徴であるヒエラルキーが存在していないという点である。ダンスをする上で、必ずその中には主演という花形が存在する。なぜなら、その傍らには主演を支える存在がおり、一人の人間の行動を多数の人間が同じ動きをすることにより、主演の洗練された美しさが際立つからだ。一方で、暗黒舞踏は、演目を行う人間すべてが同じ格好をしているという異質さがある。ここには誰が主役で、誰を基準としているのかといった区別が為されていない。それゆえ、舞台におけるヒエラルキーを無くし、混沌とした空間を作る点に芸術性があり、西洋のダンスとはまったく異なる意義が認められるからだ。以上の二点において、暗黒舞踏の表現の芸術性が認められると考える。

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