2018 東京学芸大学 E類教育支援専攻 多文化共生教育コース 小論文 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」



問1
他者が持つ奇異と思われる部分は、自分の内面にある性質と対照的なものである。それゆえ、他者ではなく自分が奇異であるともいえるため、下線部は、自分自身が自己に対する異質な他者性を有するという意味を持つ。
(99字)


問2
ある特徴やあり方が他者の表れとして私に見いだされるならば、その特徴やあり方は、私自身のなかにもあるものだと言える。なぜなら、そうした特徴や性質が私のなかになければ、他者がそうした特徴や性質を持つという私の理解や認識そのものが成立しないと考えるからだ。たとえば、ある人が道端に唾を吐くなど、私から見て醜悪だと思われる行為をすれば、その醜悪さは私の中にもあると言える。なぜなら、醜悪さという特徴や性質、価値判断が私のなかになければ、他者の行為を醜悪なものとして認識することはないと考えるからだ。したがって、「他者」に見いだされる多様な特徴が私自身のなかにも断片としてあることを知り、私のなかにそれらの特徴や性質の存在を認めることが、逆説的に「他者」理解の第一歩になると考える。それゆえ、私の中にある「自己の部分部分」を直視することは、他者へ開かれていくこと、つまり、他者を理解する可能性を開くと考える。(399字)


問3
人は「飛行機が墜落して乗客乗員全員が死亡した」というニュースを聞くと、「飛行機に乗ることは危険である」と考えることができる。しかし、実際には、飛行機事故に遭遇する確率は自動車事故に比べて非常に小さい。したがって、飛行機事故という自動車事故に比べて少ないサンプルから、その危険性を判断することは、妥当ではないと言える。こうした判断は、少ないサンプルから判断を下す点で下線部と同様の見方だと言える。(197字)



 コスモポリタン・シチズンシップを獲得するためには、国や地域を超えて、あるいは多様な価値観や文化的背景を相互に認めながら、異質な他者と共に生きることができる力を備える必要があると考える。なぜなら、グローバル化した環境では、今後、自身とは異なる価値観や文化的背景を備えた人々と遭遇する機会がますます増え、多様で異質な他者と共に生きることが相互に要求されると考えるからだ。それでは、こうした状況において、コスモポリタン・シチズンシップを獲得するためにはどのような教育が望ましいだろうか。
 私たちは異質な他者に対して寛容となり、異質な他者との共有点や妥協点を探りながら、共に生きる力を身につけていくことが必要だと考える。なぜなら、自分とは異なる他者と共に生きるためには、誰もが自分のあり方や考え方を押しつけたり、文化的多様性を認めない事態を回避していく必要があるからだ。そのためにも、今まさに隣にいる他者の異質性を認めながらも、共に生きようとする意志を持ち、皆が多文化共生社会の形成に努めることを理念とした教育が必要だと考える。さらに、この多文化共生を目指す教育においては、異質な他者とわかり合うことを前提とはしない。なぜなら、どのようにしたら他者と上手く付き合うことができるのかが課題となると考えるからだ。それゆえ、他者との接触について多様なケースを想定した、実践的なプログラムを展開する必要があると考える。(598字)


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