2017年度 慶應義塾大学 看護医療学部 小論文試験 模範解答

オープンチャット「大学入試 小論文 対策相談室」


問題1.
福沢は、世論に縛られること無く、異端妄説と言うべき見解を進んで唱道することをよしとするような心構えが共有された状態を、「自由の気風」と呼んだ。この「自由の気風」のなかから、様々な「異端妄説」が出現し、互いに競い合う有様が「多事争論」である。福沢は、個々人が多様な説を唱え、知識を共有しながら、議論を繰り返すことによって、社会全体として、試行錯誤的に社会全体の知識のあり方が改善されていくと考えた。(198字)


問題2.
「惑溺」とは、ある一定の見方や考え方に依存して、それに拘束され、自分なりの考え方や観点を持つことができない状態を指す。福沢は、なぜこの「惑溺」を批判したのであろうか。
福沢によれば、文明進歩の契機は、どのような分野・階層においても独立した個人として世論に拘束されず、自らの考えやあり方を表明できる少数派の人々が「異端妄説」を唱えながら、社会全体として「多事争論」の状況が生み出されることにある。しかし、社会における多くの人々が「惑溺」の状態にあれば、世論に縛られることになり、各人が「異端妄説」を表明することができなくなり、進歩が望めなくなると考える。
たとえば、各種分野の研究においても定説や海外の研究者の権威に固執していては、新たな説や論を検討したり、先行研究を批判的に見る観点を持つことができない。その結果、研究の意義が失われ、各分野における進歩が見込めなくなると考える。
以上の理由により、「惑溺」は諸々の研究やひいては文明や社会の進歩を阻害するため、福沢は「惑溺」というあり方を批判したと考える。
(450字)


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