H24年度 東京都立西高校 推薦入試作文 解答例

次のことばについて、あなたが感じたり

思ったりすることを六百字以内で述べなさい。

(50分)

「単純であることは、究極の洗練である。」

(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

解答例1

 英文を読んでいると、関係詞節や副詞節、条件節などの節が複数あり、そのうえ文中にある名詞に分詞句や不定詞句などの修飾句がたくさんついている文を見ることがある。そうした文章は、自然と一文が長くなっていて、どの節や句がどこにかかっているのかが分かりづらい。複数の修飾関係をもつがゆえに文の構造が複雑になってしまう。一方で、学校で作文の授業があり、私は一文をなるべく短く簡潔に書くように先生に教えてもらった。
 私は、文章によって同じ内容を伝えるのなら、複雑で長い一文を記述されるよりも、短くて簡潔な文章をいくつか書かれたほうが、読み手に配慮した、洗練された文章だと思う。なぜなら、複雑な一文を目の前に一挙に出されるよりも、一文一文が単純な内容を持つ記述が展開されるほうが、段階を追って内容を理解することができるからだ。また、たとえ複雑な事柄を記述するにしても、そうした事柄をいくつかの単純な部分に分けて、順序立てて説明することが重要だと考える。
 したがって、以上のように複雑な事柄を単純な部分に分解し、理解できるようにすることが洗練なのだとダ・ヴィンチの言葉を解釈できるだろう。単純なものは誰もが理解できるから誤魔化しがきかない。また、それ以上つけ加えるものや取り除くべきものもない。それゆえ、単純であることは、究極の洗練だとダ・ヴィンチは言ったのだろう。

(570字)

解答例2

 広告やパンフレットなどを手に取ったとき、長々とした文章よりも簡潔な見出しのほうが印象に残る。広告やパンフレットといった紙面が限られた媒体において、内容が細部にわたる文章はわかりにくいと思うからだ。たしかに、物事を理解するためには細部を知ることは重要だ。しかし、細部の説明がいくら充実していても、文章では大意は伝わりづらい。したがって、文章の無駄な部分を削ぎ落すと読み手に文章の意味がよく伝わるようになる。ダ・ヴィンチの言葉は、広告の見出しのような単純なものが、意味を伝えるうえで最も洗練されていると言っているのだと思う。
 ダ・ヴィンチの言葉をもっともよく体現している例は、日本の俳句であると思う。俳句は、五・七・五の単純な形式である。しかし、そこで表現される内容は、読み手に様々な解釈や感慨を生む豊饒なものである。したがって、無駄を極限まで省いた単純な形式が、豊饒な意味の世界を表す俳句は、究極に洗練された文学表現だと考える。
 無駄を省いた単純な俳句の形式が、詠み手の工夫によって豊かな意味内容を持つ。言葉を用いた意味の伝達において、これ以上洗練された形式はないだろう。だからこそ、欧米でも俳句が日本の文学として認められているのだと考える。ダ・ヴィンチも俳句の単純さに、究極の洗練を認めてくれると思う。(549字)


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