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(基本解説014)改めて「日米安全保障条約」を考えてみよう

(政治や法律の基本解説)
(3分で読める)




自ら、自国の領土と国民を
守れない日本の
安全保障上の危機のため
日米安全保障条約を締結する

とはいえ、米国に防衛義務はない?






軍隊を持てない日本の安全保障上の危機

 1945年8月、日本は敗戦により連合国軍司令部(GHQ)に占領されました。その後、1951年に「サンフランシスコ平和条約」によって占領が終わり、独立した日本は、朝鮮戦争後の経済復興により再び国力を取り戻し「神武景気」へと続きます。その一方で、憲法九条により軍隊を持てず、自国の領土と国民を自ら守ることのできない脆弱な国でもあったのです。サンフランシスコ平和条約の成立によって、すべての占領軍は日本から撤退することになっていました。アメリカ軍が撤退すれば軍隊を持たない日本にとって安全保障上の危機につながります。

日米安全保障条約締結も防衛義務なし

 そこで、吉田茂首相はアメリカと同盟を結び、日米安全保障条約(日米安保)を締結します。その際に、小規模な軍事組織(自衛隊)を保持することを安全保障の基本方針として定めました。しかし、この条約にはアメリカは日本を防衛する義務があるとは書かれていませんでした。その頃、韓国の初代大統領である李承晩は、国際慣例を無視して日本海に勝手に国境線を引き、日本固有の領土である竹島(島根県)を不法占拠しています。日韓基本条約と漁業協定が締結されるまで多くの日本漁船が拿捕され、また大勢の船員が抑留されました。正式な軍隊のない日本は抑留された船員も奪い取られた竹島も取り返すことができていなかったのです。アメリカは、これらの島が朝鮮の一部として取り扱われたことは過去に一度もないと拒否しましたが、竹島の奪回までには踏み切っていません。このため、竹島は現在でも韓国が実効支配している状態が続いています。

安保改定と安保闘争

 岸信介内閣は安保改定のため、1960年に「新日米安全保障条約」を締結します。それまで「日本が米軍の日本駐留を認める」としたものに「日本が有事のときには米軍も日本とともに防衛する」ということを追加しました。この頃の日本では「安保闘争」と言われる大規模な反対運動が起きます。これは、安保で日本がアメリカの戦争に巻き込まれるようになるのではないか、といった不安や、在日米軍の犯罪が免責されることへの反発や反感が起こっていきます。

50数年後に集団的自衛権を認める

 その後、岸内閣は新安保締結の直後に総辞職します。このときの安保は日本が米軍の駐留を認める代わりに米軍は日本のために戦う、というものでした。しかし、在日米軍が危険な状態のときには憲法九条により、日本はともに戦うことはできません。それから50数年後の、2014年に岸信介の孫である安倍晋三内閣が、日本のアメリカに対する集団的自衛権を一部認めることを閣議決定しました。


参考文献
『政治学小辞典』  堀江湛・加藤秀治郎 一藝社
『政治のキホンが2時間で全部頭に入る』 馬屋原吉博 すばる社
『日本国紀』 百田尚樹 幻冬舎
などから適宜抜粋



1,259字






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