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本は読むな 『読書について』 ショーペンハウアー

(5分で紹介)




読書が人生を浪費する


読書は他人の頭で考えることでしかない
必要なのは自分の頭で考えること


学者、物知りとは書物を
読破しただけの人のことだ


業者や出版業者は読者から
時間と金を奪っている

書名の盗用は剽窃ひょうせつであり
まったくオリジナリティがない




この強烈なショーペンハウアー哲学を
本書『読書について』で
わかりやすく理解させてくれる
最良の入門書です
一読あれ






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アルトゥール・ショーペンハウアー
Arthur Schopenhauer
1788-1860。ポーランド・リトアニア共和国。ドイツの哲学者。1820年ベルリン大学講師となったが、当時ヘーゲル哲学が全ドイツを席巻、人気絶頂のヘーゲル正教授に圧倒され辞任し在野の学者となる。主著は『意志と表象としての世界』。誰とも結婚せず生涯独身のまま、その一生を終えた。72歳没。ニーチェやワーグナーなど哲学・文学・芸術の分野で後世に大きな影響を与えた。

『読書について』 

 「読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」。率直さゆえに辛辣に響くアフォリ格言ズムの数々。その奥底には哲学者ショーペンハウアーならではの人生哲学とヒューマニズムがある。以下は本書からの適宜抜粋です。




本を読むとは他人の頭で考えること

 本を読むとは自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると他人の考えがどんどん流れ込んでくる。自分の頭で考える人にとってマイナスにしかならない。なぜなら、他人の考えはどれをとっても、ちがう精神から発し、ちがう体系に属し、ちがう色合いを帯びているので決して思想・知識・洞察・確信が自然に融合して、ひとつにまとまってゆくことはない。

多読に走るべきではない

 きわめてすぐれた頭脳の持ち主でさえ、いつでも自分の頭で考えることができるわけではない。そこで思索以外の時間を読書にあてるのが得策だ。読書は自分で考えることの代わりであり、精神に材料を供給する。その場合、私たちに代わって他人が考えてくれるが、その思考法は常に私たちとは異なる。だからこそ多読に走るべきではない。精神が代用品に慣れて、それにかまけて肝心のテーマを忘れ、他人の考えで踏み固められた道に慣れ、その道筋を追うあまり自分の頭で考えて、歩むべき道から遠ざかってしまわないようにするためだ。

反芻し、じっくり考える

 本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは反芻はんすうし、じっくり考えたことだけだ。ひっきりなしに次々と本を読み、後から考えずにいると、せっかく読んだものも、しっかり根を下ろさず、ほとんどが失われてしまう。

本を選ぶときのコツ

 本を読む場合、もっとも大切なのは、読まずにすますコツだ。いつの時代も大衆に大受けする本には、だからこそ手を出さないのがコツである。いま大評判で次々と版を重ねても、1年で寿命が尽きる政治パンフレットや文芸小冊子、小説、詩などには手を出さないことだ。あらゆる国々の常人をはるかにしのぐ偉大な人物の作品、名声鳴り響く作品へ振り向けよう。私たちを真にはぐくみ啓発するのは、そうした作品だけである。良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。

反復は勉学の母である

 本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、すばらしいことだろう。だが、たいてい本を買うと、その内容までわがものとしたような錯覚におちいる。読んだものをすべて覚えておきたがるが、私たちはみな自分が興味あるもの、つまり自分の思想体系や目的に合うものしか、自分の中にとどめておけない。
 そのためにも「反復は勉学の母である」。重要な本は、どれもみな続けて2度読むべきだ。2度目になると内容のつながりがいっそうよくわかるし、結末がわかっていれば、出だしをいっそう正しく理解できるし、印象も変わってくるからだ。

饒舌な者は、なにも語らない

 手練手管を用いる書き手について「饒舌じょうぜつな者は、なにも語らない」という言葉があてはまる。どんな場合でも、抽象的な表現を選ぶ。これに対して知者は、より具体的な表現を選ぶ。具体的であるほうが物事は、あらゆる明白さの源泉である直観性になじむからだ。

後世に与えた、はかりしれない影響

 ニーチェとショーペンハウアーの主著との運命的な出会いは有名だ。ショーペンハウアーの没後5年たった1865年、ライプチヒ大学の学生だったニーチェは、古本屋の店先で分厚い本を目にした。本をパラパラめくると「いかなるデーモンが私の耳元でささやきかけたのだろう。とにかく、『持って帰れ』と言ったのだ」。その後、ニーチェは寝るまも惜しんで、この書に没頭「あたかも私のために書いてくれた」かのように感じるほど衝撃を受け、ショーペンハウアーを「教育者」と呼んでいる。

 いっぽう、文豪トルストイは1868年、『戦争と平和』の締めくくりとして「必然と自由」論を執筆しているとき、まさにショーペンハウアーの著作と出会う。「今私はショーペンハウアーは多くの人間たちの中でもっとも天才的な人物だと確信します ...  これは信じられないはっきりと美しく照らし出された世界です」と絶賛し、大作『戦争と平和』を完結させている。

 他にもスウェーデンの劇作家・小説家アウグスト・ストリンドベリやドイツの文豪トーマス・マン、ショーペンハウアーを「言葉の芸術家」と呼んだカフカや精神分析の先駆者として尊重したフロイトなど、彼が後世に与えた影響ははかりしれない。



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