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渋谷 典子 原宿1980 ─日曜日のヒ-ロ-たち─ @ Place M 鑑賞メモ

ベトナム戦争と学生運動の70年代。

バブル経済崩壊、東西冷戦終結と湾岸戦争の90年代。

その時代の狭間、1980年代を写す渋谷典子の写真展。緊急事態宣言解除を受けて、Place Mで一週間だけオープンしていた。こんな時期だからアーティストは不在だったけれど、雄弁な写真にこの年代のパワーを感じた。

1980年代は、ベトナム戦争は終わったけれどイラン・イラク戦争が始まった。ワイドショーではスカッドミサイルのことをしきりに報じていたような気がする。身の回りの問題といえば、トヨタソアラ、ファミコン、校内暴力、いじめ、暴走族が話題だったような。そして社会、経済でも大きな動き、プラザ合意、チェルノブイリ原発事故、昭和の終わり、ベルリンの壁崩壊と東欧の体制の崩壊。アートでは、1985年にポンピドゥーセンターで開催されたリオタールの『非物質的なもの』展。どの十年紀も同時代の大きなうねりがあるもの。

そうしたことに思いをはせつつ、Place Mがある雑居ビルに入る。築年数を感じさせる古いビルの匂い。

竹の子族については、AMETORAにも詳しく記載されている。あの本はファッションの観点から見た文化人類学の本だと思う。

1950年代。朝鮮戦争の休暇で日本に滞在していたアメリカ兵のファッションが起こりのようだけども、日本で熟成してオリジナルというか、独自な文化に分岐した。不良、暴走族、原宿のストリートカルチャーのハシリ。竹の子族はディスコで踊っていたが、竹の子族の服が派手だから入店を拒否された。行き場を失って原宿の歩行者天国に向かった。ただ、踊りたかった。

展示のステートメントは少なく、鑑賞者は提示された写真と向き合う。

沖田浩之のポートレイト。目力の強さ。
なぜ、メイクしているのだろうか。

帰宅後にWikiを見てみた。TV取材を受けた後、ファンが殺到し、人混みに溢れてしまった。ここでも踊ることができなくなってしまったということ。

新宿二丁目からも踊りにきていた人がいた。その踊りを見る人たち、集団と個。日曜日の路上に繋がりと自由があったのだろうと想像する。ただ、仲間内の濃厚な人間関係も見え隠れする。

ひょっとこのお面、大げさなサングラス、カラフルなヘアピン、そうしたものを身にまとい、コスチュームから逸脱する。ブリコラージュのような自己表現。これって1990年代の渋谷系ギャルに接続していると思った。

トランスジェンダーと思われる人物のポートレート。ここでは多様性を受け入れていたのだ。お揃いのコスチュームと逸脱も含めて。居場所としての原宿歩行者天国と、表現としての衣装と踊り。


日本カメラ5月号に展覧会の一部写真が掲載されているが、やはり展示写真の方が綺麗だった。



同じビル2階のRED Photo Galleryで『東京Days』を開催しており、帰りがてらに寄ってみる。

1980年代の竹の子族の写真に比べると、芝居がかっているようにも見えるし、種々雑多な東京を写し取っているようにも思えた。ただ、提示している光景は、コロナ禍にあって、既に過ぎ去ってしまった日常のようにも感じられた。

もう一つ、竹の子族の写真は日本人の体型が今とは違うなと思っていたのだけど、東京Daysの現代の日本人の写真を見て、大して変わらないことに気が付いた。装いの変化によるものだろうか。事実と思い込み。あるいはオブジェクトとサブジェクト。

ステートメントにあった、とある少女の話。原宿まで片道2時間かけてクレープを食べに行く。それが楽しい。そうしたインタビューが掲載されていた。いまはスマホ越しにバーチャルなリアルが体験できる時代。常に繋がっている。芝居がかって見えたのは、インスタへの表象の作り方と連続しているのかもしれない。


「透明なスクリーンによって世界を理解する。」ヒト・シュタイエルとともに作品を作ったTrakolovic の発言だと思うのだけど、何しろ作品映像を見ることができない。ベルリンの壁崩壊の'89年以降生まれというのは、ドイツにとって特別な世代なのだろうと想像はつくけれど、それが実際にどういうものなのか。




久しぶりにAKIRAを見ようと思った。



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