『平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989–2019』@京都市京セラ美術館 鑑賞メモ
京都市京セラ美術館の平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989 - 2019を鑑賞してきた。雨が続いた週末を取り戻すかのような晴れた日曜日、春の陽気に人が誘われていたような感じ。
キラキラとした中庭、池に杉本博司の茶室は、もう無かった。あれを見ることができたのは良かった。
平成展は、東山キューブの高い天井まで届くかのような平成史が書かれた壁から始まる。平成に変わるタイミング、どんなことをしていただろうかと思い出し、年表との対話をしばらく楽しんだ。
災害の多い時代だったな。
平成の30年、一括りにして考えるにはちょうど良い長さなのかもしれない。2011年の東日本大震災の項でしばらく時間がかかる。
今年は10年目、震災後からしばらく宮城県の友人と共に沿岸の様子を見に行った。津波の爪痕を見て、その地域の人と話をした。「見にきてくれたんだね」と話してくれたことが、その声とともに記憶に刻まれている。
平成あたりに社会人経験をスタートさせた身としては平成というものを総括したくなるだろう。そうしたものを踏まえつつも、飲み込んで、その上でデブリとして提示しているのだと思った。バラバラに見えるような平成像。
会場は三つのエリアに分かれている。
平成元年(1989年)から平成13年(2001年)
平成13年(2001年)から平成23年(2011年)
平成23年(2011年)から平成31年(2019年)
東西冷戦終了とバブル崩壊、ニューヨークのテロ、東日本大震災。その他にも、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、リーマンショック、なんでもない日常と考えていた平成にも、歴史に刻まれる出来事が数多くあったということを思い起こす。
武蔵野美術大学と朝鮮大学校の《突然、目の前がひらけて》。両大学の交流展に合わせて、両校の間の塀に階段を設置したもの。そのアーカイブと、階段が提示されていた。
会場の中央に設置された階段、当初は何の目的で設置された階段か分からなかった。係員に寄れば上ることもできるということで階段を上がってみた。会場全体を見渡せるほどの高台、最上段にある敷居のようなものを跨いだ時、これは境界を超えるものだと理解した。他の段よりも、少し高く足をあげる。何かを越えた感覚。
この階段は何のために設置されているのだろうか、そうした疑問を持ちながら、あるいは作品からの問いかけに対話しながら上る。そうした体験を伴う鑑賞体験があった。
階段を越えた後、この階段を設置にあたってのアーカイブを鑑賞した。見ただけでなく、体感したことによって、アーカイブからのメッセージの強度が増したように思う。
アーカイブ。
副業のコンサルティングでも、アーカイブについて議論することがある。少し、ヒントを得られたような気がする。
今から思い返すと、平成には昭和な空気が残っていたように思えるが、令和になって同じような事が言えるのだろうか。あと10年か、20年したら、答えが出ているだろうか。
図録を買ってきた。
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