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『道草展:未知とともに歩む』@水戸芸術館 鑑賞メモ

少し前のことになるけれど、水戸芸術館の現代美術ギャラリーで展示していた道草展についてメモを残しておきたい。

今年は様々な例外があった。パンデミックという、現代に生きる人のほとんどが未体験の事柄に、嫌でも反省を強いられたように思う。何がトリガーだったのか把握していないけれど、環境に対する企業の責任が、2020年になってとりわけフォーカスされたように思う。パンデミックの終息の後は温暖化との闘いである。そう宣言する企業経営者の多いこと、日本は、そうした空気から少し遅れているようにも感じる。

ファッション産業ではエシカル、自動車産業ではカーボンニュートラル、全ての企業がサステナブルを意識せずには居られなくなった。

もちろん、こうした世間の動きに対してアーティストはいち早く反応している。そうした事象をうまくキュレーションした展覧会だと感じた。

入り口近くの芝生にロープで区画化された四角の領域、ロイス・ワインバーガーの《ワイルド・エンクロージャー》、《自然発生する植生》。掘り起こされた芝生は、他と違った青さを持っていた。晩夏からの展示によって、どのような変化があったのかに思いをはせる。

植物と人間との関係を切り取った作品、植物を意識させることというよりも、植物を意識していないことを意識させるかのような、そんな作品展示がなされていた。

ウリエル・オルローの作品は植物と人間という関係性を植民地支配と差別の問題へと昇華させている。そうした映像作品が提示された空間は美しさがあったが、それが返って暴力的な人の所業を浮き立たせているようにも感じた。支配は植物、環境、地勢、非宗主国へと。

狂気にも似た静かな訴えかけは、グリーン・インフェルノといった感覚を呼び起こすが、これでは植物と人類という二項対立になってしまうが、最後の展示室の上村洋一によって回収されている。環境を意識したときに、自己にリフレクションしてくるような感覚、そうしたものを展示室の中に流れる作品の時間によってかみしめるのだろう。

最後のアンケートで小学生の感想に、”自然を大事にしないといけないと思った”という素直なテキストがあった。こうしたことが浮かび上がってくるということ。それがひとつの狙いだったのだろうと思う。

この展覧会はよこはまトリエンナーレに対するひとつの応答と感じた。

ヨコトリは、西洋的な展覧会に対するアンチテーゼとなったと思う。ただし、投げっぱなしな雑さは否めない。そうしたことに対するジンテーゼのひとつの形として、この展覧会が提示されていたのではないだろうか。


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