高木正勝『星の時間』 鑑賞メモ
少し前のことになるけれど、2020年の11月終わりくらいの話。興味深い映像作品の展覧会があった。
佐賀の展覧会に関して一通り、そして所用を一通り、今回は長い滞在になった。太宰府天満宮で《ソトタマシイ》を見に行けたのは、とても良かった。
時間があったにも拘わらず、ゆっくりした感じはしない。スマホの歩数計を見たら、毎日2万歩以上の記録だった。久しぶりに歩いた。最終日は福岡で美術館を回ろうと考えていた。ただし、月曜日休館が多く、相変わらずの自分の計画性の無さを責めることになる。
三菱地所アルティアムで開催されていた『星の時間』を鑑賞できることを知り、内容も知らないままに入館料を支払った。
靴を脱いであがる。そして、大きな空間に人をダメにするソファが並べられていた。その先には壁面いっぱいの映像が投影されていた。
ああ、映像作品を鑑賞するのか。渡されたパンフレットを見ながら、ようやく理解する。複数の映像作品が連続して投影され、全部見ると、およそ1時間くらい。
じっくりと映像作品に没入する環境が整えられているわけだ。
抽象的な映像と音楽による空間。
それぞれの作品に明確なストーリーは無い。想像することになるか、それともぼんやりと見ているか。
歌詞の無い音楽は、記憶することを拒否するかのようで、鮮烈な映像と音楽との関係性を問うているよう。
映像が見せる精神性と物質性、物質が溶けて均質化してしまう様子。
観賞した後に感じたのは、これは記憶と忘れてしまったモノ(思い出せないモノ)との境界を探る実験ではないだろうかと考えた。
佐賀で展覧会をやっていた学生に見せたいと思ったけれど、それはどうしてなのか、既に記憶の中に埋没してしまったみたい。
展覧会で上映されていた作品は、一部をYouTubeで見ることができるけど、視界に収まらないくらいの大画面で見てほしい。
映像作品は、どこで見ても同じだろうと考えていたけれど、それが提示される空間がとても大事であると知った。それも踏まえ、この時代の映像作品の提示とは、どうあるのがよいか。
コンピューターが再現する色は、現時点でも統一されていない。
いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。