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ギャラリー・ホッピングと草むしり

ホー・ツーニェンを見た後、しばらく放心状態というか、満たされた状態というか、そうした心境が続いた。

2000年代だったかな、日本人とはどういうものか、そんなことに疑問を持ち、いろいろな本を読んでいた時期を思い出す。恐らく、その時期の感覚が展覧会鑑賞の経験を通じて掘り起こされたのだと思う。

前にも、このnoteで書いたが、読書感想のブログを持っていた。何を思ったのか消してしまった。そのブログに掲載していた読書メモが惜しかった。結構なアクセス数があったのと、書籍化のオファーもあったのに。

日本人論として読んでいたのは、次のような書籍だった。

原論とでも言うべき本。アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト、来日経験はなく資料研究により著された本は、学術研究の手本であると、招聘しようとしたが適わなかったとも、あとがきに書いてあった記憶がある。

グレートジャーニーと、日本列島にどのようにホモサピエンスが定着したのかを分かりやすい文章で解説していた。この著者の新しい本は出ているが、初めて読んだ本というのは、何かと愛着がある。ただ、最新の発掘調査や研究成果もあるため、より新しい本を読んだ方がいいと思う。

エッセイのようであるが、実に興味深い。著者がオランダに住んでいた頃の話をまとめていた。この本でヨーロッパの同僚がどうしてそういう行動をするのか、理解する助けになったと思う。

もし、○○だったら。こうした仮説を立てて物事を考察すると、いろいろな視点が得られる。事業戦略などを考える際にこうした思考方法はとても大事になってくる。Amazonの価格にびっくり。本棚にまだあったかな。

もうひとつ別の視点、この本は日本人を考える時に役にたった。そして英語学習の考え方の礎を作ることができる良書。

今はこの本を読んでいる。以前も手に取ったが、途中で投げ出してしまった。その頃は読むのが辛かったが、今では一気読みしてしまうほど。表面上だけでなく、人の背景にも注目することがポイントだろうか。

現代アート研究をやるまで他人に興味が無かったし、自分というものも無くなっていた。営業部門に異動してきたのも、そうした乾燥した心に人間関係の潤いを取り戻そうとしたことと、人に注目したかったことがあった。

禅と戦争は、ホー・ツーニェンの展覧会の資料展示にあり読み始めた。マライの虎も見た。あの展覧会が、散読していたあの頃に一本筋を通す助けをしてくれたような気がする。こうした共鳴が面白い。現代アートにこうした効用があることを改めて認識することができた。




このように文献学習の復習をしていたので、見るべき展示がいろいろとあるけれど、出かける気になれなかった。ホーの展示は確かに良かったが、その後の行動にここまで影響がでるというのは、元々自分の中にあったことがホーによって掘り起こされたと思う。二項対立への疑い、表側と裏側あるいは光と闇だろうか。白黒はっきりさせるというが、そこまではっきりする事項は近年は少ないように思う。

そんな週末、小学校の作品展があった。子供の創作の成果を見るために外出の用意をする。リモートワークは、外出を億劫にさせてしまう。

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小学校から帰宅、そのうち姉妹も帰宅する。重い腰を上げたのは娘を塾に送っていくため。いつもは一人で出かけさせるけど、送迎をすることで外出する理由をつけた。

渋谷西武で「現代茶ノ湯スタイル展 縁-enishi-」を見る。茶器と現代アートの出会いの展覧会。山本 捷平は浮世絵を参照した作品を提示していた。ローラーにより多重化された線に、不思議な立体感があった。西村昂祐の作品がいいなと思ったが、既に完売だった。

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続いて渋谷パルコのOILで「@Sanemasa5x #絵画以上落書き未満 」を見る。名もなき実昌の個展、初めて見たのはワタリウムのオン・サンデーズ&ライトシード・ギャラリーだった。

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OILはカフェ営業が終了してギャラリーの運営に集中するという。美術手帖のバックナンバー、古い版もあって、それは古本なんだけど、少し気になった本を3冊ほど買った。

銀座線で銀座に移動、100年に一度の大改修の渋谷を後にして銀座に到着、すっかり改装されてしまい方向感覚が奪われた銀座四丁目交差点の下の改札を出る。RICOHのギャラリーで大山エンリコイサムの「SPECULA」を見る。

積送するプリント技術と大山のQTSの出会い。出力するためにQTSをデジタルで複製し、プリントする。初めてデジタルで制作された作品ということ。2.5Dのプリントで、少し盛り上がったラインが針金のようでもあり、連続するQTSの中から浮かび上がる。作品解説をしてくれた方があり「線をどこまでも追ってしまいますね」と話していたことが、とても印象に残っている。

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続いてエルメスのフォーラム、「ル・パルクの色 遊びと企て」を見る。8階と9階の2フロアを使っていた。色の表現の可能性、色を塗り分けた幾何学模様、そこに絵画的な鑑賞の目をむけさせる。素材による色の変化や、動きのあるオブジェ、そうした色の認識を試すかのような展示。エレベーターの窓から見える作品も必見。

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有楽町CADANで「COMBINE ! by rin art association」の展示を見てから日比谷線で神谷町に向かう。

大規模な開発をしている広大な工事現場の脇を延々と歩く。iPhoneのマップで見たら、小さな家が密集するエリアだった。飲食店らしき屋号も多かった。土地買収が完了したのだなということと、恐らく大型商業施設が出来上がり、街の様子が変わるだろうということと、都心回帰の傾向があるとはいえ、こんな巨大な施設がテナントを埋めることができるのだろうかということを考えた。後で調べたら住戸も4桁程できるらしい。


神谷町では鈴鹿哲生の「DATA PAINTING」を見に来た。

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データをマテリアルとして提示した表現という。データそのものは不可視であり、その存在性を語るために平面の表現をしているというが、殊更にデータを取り上げる必要があるのか分からなかった。普段からデータを取り扱う仕事をしていると、少しシビアな見方になってしまうのかもしれない。


最後にMARUEIDO Japanで「Imaginary」を見た。最近、テレビで門田光雅のインタビューが放映されていて、一度作品を見たいなと思っていた。ちょうど展覧会の案内が来た。こういうのをシンクロニシティと言うのかな。

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入口を入った正面の壁、ギャラリーの一番でかい壁の大部分を占める大型の作品、200号であるという。DMにはこの大型の作品を含み、多面体として提示されていて、その作品がバラバラに壁面に掲げられていた。より小型の多面体シリーズも提示されており、大小の作品の変化に、包み込まれるような輻輳していくような空間だった。




翌日、千葉に持っている戸建ての片付けに出かける。母が住んでいたが、施設に入ったため整理をしなくてはならない。なかなか県外からの移動が厳しい状況だったが、片付け業者との調整も済み、当日となった。

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ガレージに茂った雑草。セイタカアワダチソウを中心にジャングルのようになっていた。夏の時期にも来ていたが、寒くなって枯れ始めてから片付けようと先延ばしにしていた。ようやく、その時期が来たのだろう。業者を待っている間に手を付ける。

業者が不要物を整理している間にも草刈りをしていた。

3時間あまり雑草の整理が終わった。とても重労働だったが、天気に恵まれたので良かった。ガレージなのに、なんでこんなに雑草が茂るのか不思議に思っていたが、母が集めてきたプランターから雑草が伸びていた。家の前にあったプランターを邪魔にならないようガレージに置いたのが2019年の11月だったかな。すっかり忘れていた。

放棄された場所に、どのように植物が定着するのか。セイタカアワダチソウに混じって、若木が3本ほどあった。既に雑草とは言えない。いっそ戸建てを取り壊して森にしたらどうだろうかとも考えたが、延々に徴収される税金のことを思うと、早めに処分するべきと思った。

片付け業者と、生前に整理をしておくことの重要性を二言、三言取り交わした。便利屋と自称するこの業者は特殊清掃も行うという。翌日、世田谷で予定が入っていると聞いた。最近は増えたらしい。幸いにして、母は存命中であり、片付けもやりやすかった。

義祖母の家は残置物も含めて取り壊しにするようだ。

草刈りの重労働、背中から腰にかけてとももの裏が筋肉痛になった。そして両腕は虫さされか、植物によるかぶれかで、ポツポツと赤い点ができた。


前の日のギャラリーホッピング、いくつか買いたいと思う作品があったが、自分の死後を考えると躊躇してしまう。今コレクションしている作品は子も気に入っており、引き継ぐということを確認している。ただ、全部ではないし、大人になって気が変わるかもしれない。

どういうシチュエーションで作品を買ったのか、コレクションに加えたのか、そうしたストーリーが無くなってしまった時、作品はどのような見え方をするのだろうか。冒頭の日本の近代史とも重なるような気がした。



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