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『生きている東京展』@ワタリウム美術館 鑑賞メモ

年末にワタリウムを訪問していたが、藝大のPUBLIC DEVICEが見たかったために『生きている東京展』には寄らなかった。ゼミの同級生から話を聞いていたこともあり、見ておこうと思った。


SIDE COREの作品。人が居なくなった渋谷で、モノが勝手に動く様子を撮影した映像作品、ディスプレイ・パネルは3枚あるが、時間差で同じ作品を流しているみたい。渋谷のスクランブル交差点を中に明かりの入ったパイロンが横断したり、ゴミとして出されていたダンボールが勝手に動いたり。

ポルターガイストのような映像である。添えられたステートメントによれば、心霊写真の歴史は古いという。

実は心霊写真は捏造したものであるという証拠を心霊写真を提示した本人が示したにも関わらず、それを信じる人がなかった。事実を突きつけられても、否定することを受け入れようとしない人たちがあったということ。

この現象は、ファンタージーランド化と呼ばれる。

間違った論文によりアメリカで反ワクチン運動が広がった。それによって百日咳やはしかによって新生児が亡くなるケースが増えたという。

客観よりも主観を極端なまでに重視し、意見や感覚を事実並みに真実であるかのように考え、行動する人々


修論でピエール・ユイグを掘り下げた。彼の初期から中期作品はフィクションが如何に社会記憶を形成しているかを小さなスケールの作品を提示することで示そうとしていた。それからの変化も踏まえて、こうして書き上げた修士論文が、新しい社会の捉え方を身につけさせてくれたように思う。


筆談による対談の筆記録の映像作品が目に入った。壁一面に写真パネルが提示されている。齋藤陽道という名前に見覚えがあった。

言葉が文字として現れていく、筆談の対話にこれほど豊かなやり取りがなされたのかと見入っていた。


ワタリウムで行われた様々なプロジェクト、その構想メモやインタビュー映像が提示される空間、アーカイブ展と見ることもできるだろうか。

美術館のある街として文化になっていく。建物の構想メモなどを見ているうちに生きているというのは、呼吸をして、代謝し、変化していくこと。それを町にも適用しているということ。美術館が東京とともに生きていくこと、それは建物の変化かもしれないし、周辺環境の変化かもしれない。

日本にあるアニミスムと擬人化、そうしたものを町にも適用する。そうした感覚を持っている日本人、それは文化として根付いている。


ワタリウム美術館を反対側から見たときに、JRの作品の痕跡に気がついた。

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