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大山エンリコイサム『夜行雲』@神奈川県民ホール 鑑賞メモ

緊急事態宣言が発出される前に見ておこうと思い、神奈川県民ホールに出かけた。ゼミの同級生から聞いた大山エンリコイサムの展覧会『夜行雲』、現在は分からないけれど予約無しで鑑賞することができた。けれども、訪問歴を残す必要があり、LINEか、手書きの訪問シートで連絡先を記載する必要がある。

状況は刻々と変わるだろうから訪問前に公式サイトをチェックしてほしい。

今見たら、YouTubeの動画が表示されるようになっていた。これを見てから訪問したら、また違った解釈になっただろうと思う。

大まかに展示のエリアを考えると6つに分かれている。


最初の展示室には《レタースケープ》の二作品が展示されている。

内容は英文の手紙とか、エアグラムの赤と青のストライプとか、一つ一つを見ると、それにしか見えないのだけど、全体として見たときに、日本の古い絵巻のように見える。和紙がそう感じさせるのだろうか。そこにほんのわずかにQTSの痕跡があった。様々なモノに思考が接続し、飛躍する。


次の展示室には、《FFIGURATI》、2020年の新作だった。

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この連続性と運動性に、昨年の現美で開催されていたダムタイプを連想した。

その連想によるのか、静止しているはずなのに、ダンスパフォーマンスを見ているかのような錯覚に陥る。視点の開始、なぞっていく目の動きが、パフォーマンスとして頭の中で変化していく。この運動性は、この場所で無いと感じられないのかもしれない。

二つの展示室を抜けて大きな展示室に入る。ここは、やなぎみわの神話機械のパフォーマンスを見た部屋。


大きな円相図が目に入る。《無題》(2020)。暗い空間の中で、作品を照らす照明とその反射光が目立つように思う。奥に居る監視員は人だろうか。

中央のドローイング、天井から吊るされており、作品の下には黒いペンキがこぼれているかのように溜まりを作っている。こうした痕跡が、運動性を感じさせるのだろうか。

高い位置に設置されたドローイング、無造作な線に見えるが、天使を描いた宗教画のように見えた。こちらを見て微笑んでいるかのような。

階段を上ることで、このドローイングの視点が変化していく。いろいろな形に見え方が変わってくるが、最初に感じた印象、そこから厳かな印象は変わらない。

認知負荷によるものだろうか。いや、決して情報量が多いわけではない。この大空間の中にあって、作品の展示を見て、その自由さ、恐らくダイナミックさから厳かな気持ちが沸き立ってきたのかもしれない。

運動と言った意味では、大空間の前の展示室にあったインスタレーションが圧巻だった。重ねられた板の運動性、黒く塗りつぶされ、まるでひとつの物質として形成されているかのような表象、けれども板であり、身の丈以上の構造物であり、それがずらされて重ねられている。この空間にある見えない力を感じずにはいられない。


一階の展示はサウンドインスタレーション、エアロゾルの音が響いていた。

神奈川県民ホールをハックしたかのような展覧会、贅沢な空間の使い方は疎であるが、思考を重層化するモノだった。これが都市だったとしたら。作品と空間とが作り出す何かが、そうした思索へと連れて行ってくれたように思う。

夜光雲という名前、空を見ているのか、その先の星を見るのか、そこに遊びがあるように思った。




いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。