ノア・ホロウィッツのデジタル論 『Noah Horowitz: ‘Digital is here to stay’』
数週間前、ノア・ホロウィッツが、アート・バーゼル・マイアミのディレクターを退任するというニュースが入ってきた。アート・バーゼルも退職するという。2021年12月にマイアミビーチのフェアが始まるため、4か月前の退任とセンセーショナルなリードがついていた。
マーク・スピゲラーが、ホロウィッツの功績を次のように挙げている。
●マイアミビーチのアート・バーゼルの知名度を上げたこと
●ニューヨークのプレゼンスを確立したこと
●アートマーケットレポートを立ち上げたこと(クレア・マクアンドリュ―が執筆、僕の修論でも参照し、お世話になった。)
●デジタルへの取り組みをリードしたこと
アートマーケットレポートを立ち上げたことは知らなかった。彼が執筆したArt of the Dealから連なるものだったのだろう、妙に納得してしまった。
ニューヨークのアーモリーショーのディレクターからアート・バーゼルにやってきた。2011年にバーチャルのショーを企画したが、(Web上の)来場者の数に対応することができなかった。
ホロウィッツは、パンデミックの後、アート・バーゼルのバーチャルサービス(オンラインビューイングルーム)を監修しました。先月のFinancial Timesのインタビューで、ホロウィッツは次のように述べています。「私は常にデジタルの可能性に大きな関心を持っており、私のバックグラウンドを考慮して、(2015年に)入社した最初の週からアートバーゼルでこれらに関する議論をリードすることに関わっていました。 」
Horowitz has overseen Art Basel’s virtual offerings—online viewing rooms—in the wake of the pandemic. In an interview with the Financial Times last month, Horowitz said: “I’ve always taken a great interest in digital possibilities and, given my background, I was involved in leading the discussions about these at Art Basel since the first week I joined [in 2015].”
この引用にある先月のインタビューをnoteに書こうと思っていた。その矢先に退任のニュースが入ってきたので、速報性を重視しているわけではないけど、少し優先して投稿しようと思った。
Financial Timesのノア・ホロウィッツへのインタビュー記事、アート・バーゼルのデジタル推進者としてどのような考えを持っているのか興味があった。
冒頭の退任の紹介にもあるが、2011年にVIP Art Fairのディレクターを務めた。この規模で開催されるのは史上初であり、来場者数に対応しきれず、失敗したと言われている。
昨年、パンデミックの後で急に立ち上げたOVR(オンライン・ビューイング・ルーム)、他の選択肢が無い中でのイベント、背水の陣としての企画、準備、実施、香港のアート・バーゼルがオンラインで開催された際に、当初こそサイトにアクセスできない混乱があったけれど、課題の解消後は、スムーズにイベントが遂行された。オンラインのフェアは特別なものではなくなった。2021年6月にはOVR: Portalsが開催された。
アートバーゼルのこうしたデジタルシフトは、ノア・ホロウィッツの失敗の経験が役に立っているという。
再度引用。
「私は常にデジタルの可能性に大きな関心を持っており、自分の経歴を考慮して、(2015年に)入社した最初の週から、アートバーゼルでこれらに関する議論をリードすることに関わっていました」
“I’ve always taken a great interest in digital possibilities and, given my background, I was involved in leading the discussions about these at Art Basel since the first week I joined [in 2015].”
Marc Spiegler のレポートを読んだとき、アート・バーゼルはやむなくデジタル対応と感じた。変化していくことに抵抗しているかのように見えた。フィナンシャル・タイムズの記事からの判断なので、僕のバイアスを持って歪められているかもしれない。
ゴシップ誌的な言い方になってしまうが、今回のノア・ホロウィッツの退任は、そうした事も関連があるかと思った。
2011年のVIP Art Fairの失敗は増え続ける来場者の対応ができなくなったことにあるという。抽象的な書き方しかしていないけれど、恐らく同時に利用者が殺到し、サイトへのリクエスト(トラフィック増)にWebサイトが耐えられなくなったのだろう。そしてイベントとして一時的なセールスをする場合、問合せの窓口もパニックになることが想像できる。
一緒にチャレンジしたギャラリストのJames Cohanも含めて失敗だったと認めている。こうした取り組みの必要性は共通認識として持っていたという。
2011年と言えば、ECの黎明期、フロンティアとしてのECサイトへの取り組みが事例として出てきたあたりだった。世界がシフトしていることを感じ取っていた。
ホロウィッツは、「暗黙の了解として、当時から多くのアートトレードがEメールやJPEGで行われていました」と語ります。
"The unspoken reality was that, even then, a lot [of art trade] was already being done sight unseen, via emails and jpegs,” Horowitz says.
VIP Art Fairの失敗は、既存の業界の巨人からは冷笑されたに違いない。「それ見たことか」ということも言われたでしょう。先進的な取り組みをして失敗する。失敗から学ぶということ、かけがえの無い経験だったとされているとしても、人の躓きは興味深いものである。しかしながらオンラインショーの数か月後にディーラーから、VIP Art Fairで知り合った人が顧客になったと告げられる。
「奈落の底を経験したからこそ、そこに何かがあると気づくことができたのだと思います」
“It just took going through the abyss to realise that there was something there,”
どういう状況だったのか想像するしかないけれど、ホロウィッツが語る失敗の原因が二つあるということから推測すると、提供側も利用側も何が起こっているのか理解できていなかったのだろう。
ホロウィッツは、2011年にオンラインフェアを開催するには早すぎた理由を2つ挙げています。1つ目は使用していた技術が未熟で「起こっていることに対応できなかった」こと。2つ目はオンラインでの購買習慣があまり形成されていなかったことです。「この10年間で、EコマースやEバンキングは飛躍的に発展しました。VIPアートフェアを開催したときには、まだInstagramはありませんでしたからね」。
Horowitz identifies two reasons why 2011 was simply too soon for an online fair. First, the technology they used was in its infancy and “couldn’t sustain what was happening”. Secondly, buying habits were much less formed online. “E-commerce and e-banking have grown by leaps and bounds in that ten-year period. Then there’s the whole social media framework for marketing — Instagram wasn’t around when we did the VIP art fair,” he says.
まだネットが特別なものだった。マーケター的な言い方をすれば顧客を育成する必要があるが、アート・フェアのような断続的な取り組みでは育成することは適わない。ネットの世界で先行者が有利と言われているのは、こうした習慣そのものを創り出すことができるところにある。最初に消費者の購買習慣を築いたAmazonの強さはここにある。今からECサイトを立ち上げる際にAmazonの買い物体験を越える体験を用意するか、あるいは全く違う買い物体験を提示することが必要になる。普通にECで物販するだけでも、消費者はAmazonと比べる。
技術的な観点については時間によって解決できることがほとんど。今時は訪問者数に応じて、サーバーの性能をスケールすることは比較的容易にできる。(知人のEC運用担当者はヒルナンデスでサプライズ的に商品が取り上げられて、サーバーがパンクしないように、それこそ血眼で手配していた。2014年のこと。今では負荷に応じて自動的に性能拡張していく技術を容易に利用することができる。)
その後の10年間、デジタル生活に慣れてきた。それぞれのタイミングと適応力でデジタル化を進めていたが、それを一気に加速させたのがCOVID-19によるパンデミックだった。
そして、ホロウィッツ氏が「アート市場にとって、真っ先に形を変えるもの」と表現する、コビッド19のパンデミックが起こります。(中略)2020年3月に開催されるアートフェアOVRは、切実な必要性から生まれたものです。
Then enter the Covid-19 pandemic, which Horowitz describes as “a shape-shifter, front and centre, for the art market.” [...]come March 2020, the art fair OVR was borne of acute necessity.
アートバーゼル香港のオンライン・ビューイング・ルーム(OVR)は、当初のもたつきがあったものの、すぐに解決し、スムーズに運営が行われたみたい。ただ、立ち上がりの数分はホロウィッツの心臓はバクバクしていたらしい。
UXとしては、10年前のVIPとあまり変わらず、ギャラリーが最大20点の作品をオンラインで提示していた。壁に飾られているように見えて、スケール感をイメージしやすいようにする工夫がされていた。
OVRを体験したときに思ったのは、香港まで行かなくていいということと、ニュースなどで目にしていた有名ギャラリーが、どのようなアーティストのどのような作品を提示するのか、そうしたことが居ながらにして分かるということだった。
バイヤーとギャラリーのニーズからOVRは変化していった。ギャラリーは、OVRに提示できる作品が8つ制限され、イメージが溢れる状況を変えた。グリッドのように確認できる様子は、インスタグラムのようにとホロウィッツが説明する。
インスタグラムに対するアーティストの姿勢は様々だろう。
アートマーケットは、その他のECサイト(Amazonとか)と比較して、限られたプレーヤーと考えるが、それぞれのニーズから試行錯誤できるのがネットの特徴、物質的な展開がないからやりやすいと言われる。そうかもしれないが、きちんとアーキテクチャ設計しておかないと、デジタルの方が破綻のダメージが大きい。
次にネットに露出することで議論されるのが価格の問題、ネットでは価格が提示されていることがポイントになる。リアルな会場でアートブースで気に入った作品があったら、その価格はこっそり耳打ちというのが通例だった。デジタル化は秘密主義のベールを剥ぎ取っていく。
ネットだから価格を提示しなければならないというわけではなく、立ち上がりつつあるアートマーケットに応える形で、そうした習慣が定着していくだろう。
これまでオンラインでの展示に懐疑的だった人も、アジアのアートマーケットの台頭により、説得力が増してきました。「一度にどこにでも行けるわけではないということを学びました」とホロウィッツは言います。
Any previous scepticism about showing online has also been persuaded away by the rise of the art market in Asia. “We’ve learnt that no one can be everywhere at once,” Horowitz says.
デジタルで、ロックダウンされたからこそのフェアのあり方を実験していたように思う。状況が後押ししたけれど、ホロウィッツの試みは、こうした試験によって強化されていったのだろう。OVR: Portals初めての試みとして外部キュレーターを起用した。デジタルで繋がった世界で何が起こっているのかを表現しようとした。
異常な時代、アートマーケットの枠組みは進化し続け、その中のオンラインアートフェアも進化し続けています。OVR: Portalsのように、現実のショーとは別の、独立したデジタルイベントとして存在しているショーもあります。しかし、香港のアートバーゼルをはじめとする対面式のアートフェアが徐々に復活するにつれ、OVRはよりハイブリッドなイベントの一部となっています。ホロウィッツは、時代の変化に合わせて「修正」を続けていくことを期待していますが、もう10年の空白はあり得ないと確信しています。「私は、デジタルはこれからも続くというテーゼを確信しています」。
In unusual times, the art market framework continues to evolve, as do the online art fairs within it. Some showings, such as OVR: Portals, still exist as standalone digital events, separate to any real-life shows. But as in-person fairs gradually come back, including Art Basel in Hong Kong, OVRs have also become part of more hybrid events. Horowitz expects continued “modifications” to chime with the shifting sands of the current times but is certain that there will never be another ten-year gap: “I firmly believe in the thesis that digital is here to stay.”
再度、Marc Spiegler のレポートを振り返っておきたい。(冒頭に張り付けた「アートワールドの未来はデジタル(のみ)ではない」のリンクを参照。)
オンライン・ビューイング・ルームは補完的であるとする主張に見えた。2020年3月のオンライン・セールスの成功とディーラーが、買う人とのオンラインでの関係性の構築を試行錯誤し、それらを獲得しつつあった。メガ・ギャラリーは、人材の入れ替えを行いデジタルにシフトした。補完的であるかもしれないが、デジタルでの関係性が既に始まっている。不可逆であり、好むと好まざるとに関わらず、世界はそうした姿になった。
Marc Spiegler は、リアルの場で関係性を構築していく人だと推察する。Amazonのようなグリッドでは、魂が動かされないと表現しているから。
恐らく今の状況は地殻変動のタイミング。
ホロウィッツが、アート・バーゼルを去ることに、それほど驚かなかったのは、このnoteを書いていた時に、既に方向性の違いが見えていたから。組織の中の人々が一枚岩である必要はないし、そんなことは幻想である。
ホロウィッツの実験は、アートバーゼル以外で継続されていくのだろう。
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