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『生誕100年記念ヨーゼフ・ボイス展』@カスヤの森現代美術館 鑑賞メモ

横須賀まで出かけてみた。ヨーゼフ・ボイス展を見たいと思った。およそ2時間くらい、京浜東北線、横須賀線を乗り継いで、最寄り駅の衣笠駅に到着する。駅から美術館までは歩いて15分くらい。行道は登坂、住宅街を抜けた先の山の入り口にあった。

『生誕100年記念 ヨーゼフ・ボイス 展』

展覧会のページもあるんだけど、今時珍しいフレームを切ったページなので、展覧会ページへの直接のリンクができない。(フレームを外すとか、フレーム中を直接していするとかすればできるけれど、それも違うと思う。)なので、上記のリンクはバナーをクリックして入り、左側のメニューの企画展から中身を確認してほしい。

ヨーゼフ・ボイス。

ゴドフリーのコンセプチュアル・アートで名前を知った。

2022年5月に生誕100年を迎える。それを記念しての企画展ということ。

引用の引用になってしまい恐縮だけど、朝日ジャーナルの該当の号を入手することができなかった。今度、国会図書館あたりに閲覧に行こう。

 1984年に来日した際、ヨーゼフ・ボイスはインタビューの中で自身の芸術活動について以下の言葉を残している。
「私が試みていることは観賞される芸術作品ではなく、作品を通して何故それが成立しているのか、それがいかに社会と係わりをもっているのかーーそういう何故という問いを起こさせることであったのです。つまりそれが私のアクションの意味なのです」
(中略)
「私の目的は、自らが芸術家であることを見せることではなく、それを見た人々に問いに至るまでの意識を喚起させることでした。そこでは見る人そのものが問題になっているということです。私は人々の中に深く眠っているこうした意識を呼び起こすために、アルカイックな方法をとったわけです」(1984年5月30日 朝日ジャーナル インタビューより)


現代アートの定義をすることはできない。それぞれが違った道だと思うし、今まさに変容しているから。だけれども、現代アートに至る道筋や道標(マイルストーン)は確認することができると考える。そうしたことを修論でまとめた。


ヨーゼフ・ボイスが来日した際の映像も提示されていた。肩パッドの入ったスーツのお兄さんに時代を感じさせたものの、大勢がヨーゼフ・ボイスの一挙手一投足に注目する様子は、商業的に編集されたものではない臨場感があった。

ポスターが中心であり、実際の取材時の写真なども掲示されていた。それに作品が何点か。

《Kunst = KAPITAL》のポスター。大判のポスターで、額装されていた。アクリル板に照明が反射していてよく見えないけれど、それが逆によく見るための行動を起こさせたように思う。

マンモスの骨格標本の前に立つヨーゼフ・ボイス。画面の上には、kunst (アート) = KAPITAL(資本)と朱書きされている。そこにやはり赤字でサインがあった。

(このリンクからイメージを確認することができる。)


このコロナ禍の時期にあって、強烈なメッセージだと感じた。マンモスをバックにしているのは、マンモス達のように滅びるのかというメッセージとも取れるとテキストがあった。

アートは問いを発するだけ、その問いが鑑賞者の中で反復することで、増幅していく。様々な感情が沸き立ち、鑑賞体験を促す。先の朝日ジャーナルのテキストに依れば、意識の変化ということ。

会期中に是非とも出かけようと思う。豊田市美術館はあいトリ以来だ。



カスヤの森美術館、裏山の竹林と庭の散策が楽しかった。そして別館にあるブラウン管テレビに映し出されているナム・ジュン・パイクの作品と李禹煥の作品がとりわけよかった。

日本の里山をアーカイブするという試みのよう。

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羅漢像は里山の至る所にある。

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遠く横須賀の海まで見渡せた。

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いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。