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小瀬村真美 『Classic – 絵画の輪郭/Outline of a Painting –』 @kenakian 鑑賞メモ

佐賀に硬派な現代アートギャラリーが開廊した。

佐賀駅からバスで20分ほどの立地、周辺は広大な駐車場を抱えるコンビニエンスストアとドラッグストアがある。夕方の時間帯になると高校生が自転車で下校していく。どこにでもあるような地方都市の郊外、そんな場所にkenakianがある。

二階建ての広大なスペースは、天井が高く、一階と二階とで趣が異なる。自然光の入る二階の展示室は、大きな窓が開口しており、展示室とその先の空間が接続しているかのような錯覚に陥る。一階は暗転させることも可能であり、小部屋の展示スペースもある。

小瀬村真美のソロ展覧会が開催されていた。

入口のシャッターは半分おろされて、佐賀の眩しい日差しにも関わらず、夜間灯のように照らされたエントランスは、訪問者にアートの洗礼を授ける空間のように思える。

一階の展示空間は巨大な壁を利用して、プロジェクターから作品が投影されていた。高い天井にはシャンデリアが備えられ、その破片と思しきものが階段下に隠れている。いくつかの黒いフレームの作品が提示されており、展示室は暗転しているわけではないが、雰囲気からか暗闇よりも暗く感じた。

二階は外光を取り入れた明るい空間、植物事典から抜き取ったページのような作品が古い整理棚に提示されていた。蝶の標本を凝視していると、羽ばたき始めた。

これは映像なんだ。

解剖学的な植物をモチーフとした作品、果たしてこれは写真なのか、絵画なのか、展覧会タイトルのためか、鑑賞者を錯誤させる試みのように見える。

《薇 Sweet Scent》(2003)は、スペインの画家フランシスコ・デ・スルバランの静物画をもとに制作されている。ディスプレイパネルの画面に、レモン、オレンジ、コーヒーカップが並んでおり、微妙な気配を伝える。見ているとサウンドと共にレモンに黴が浮かぶ。磁器がぶつかる音がしたかと思うとカップが割れていて、液体の流れる音がする。テーブルの前を影が横切り、不穏な空気に包まれながら、画面全体をベールが覆い隠す。

映像なのか、絵画なのか、写真なのか、そもそもメディウムを考えることを放棄させるかのような作品だった。

一階に戻る。

入口正面の壁面に提示されているのは《Drop Off》(2015)である。

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長大なテーブルに果物皿、壷、燭台とろうそく、食器が並べられている。ギャラリーの白い壁に浮かび上がるモノクロの静物画、しばらく見ていると映像作品であることに気が付く。テーブルの上にある静物が、次第に暴れるかのように動き出すが、ストップモーションのようであり、よほど凝視していないと、その動きを捉えられない。ステートメントによれば、もともとは4秒の映像を12分に引き延ばしたという。4秒のうちにテーブルの上のものが崩れ去っていくが、その動きは消し去られ、映像作品であるのにも関わらず、静止画のような偽装をしている。

これを見たとき、セザンヌの静物画を連想した。画面のバランスと見え方の違い、彼が4K撮影ができるカメラを手にしたら、どのような作品を作るのだろうか。時間軸が視点と混じり合うとしたら、どのような反応になるのだろうか。二階に提示されていた《薇 Sweet Scent》の鑑賞体験とも呼応し、絵画と彫刻から写真へ、そして映像に思い至る。

小瀬村は映像作品を作るが、penの写真論の特集で彼女の作品は「静物動画」と紹介されていた。





kenakianに出かけることができるのであれば、下のビデオは訪問前には見ない方がいいと思う。あの大画面で体験することが意味があると思う。



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