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根来展@細見美術館 鑑賞メモ

細見美術館で開催中の根来展を見にきた。漆器のコレクションであり、実際に使われていた道具が展示されている。

木地に何層もの漆をかけて、様々な食材を使う用途にも耐えられる丈夫な器が出来上がる。表面は朱漆であり、その下に黒の漆がかけられている。長年の使用によって、表面やエッジが削られており、朱色の下の黒漆が顔を出す。

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用によって刻み込まれた模様、そこに見出された美。道具が美術品へと変容していく。

道具に美を見出した。美というと煙に巻かれる感じがするかもしれない。道具を愛でる。愛着がわく。この道具が好き。そうしたことが美に繋がっていると捉えることができるだろう。そうして美しいと思う人が一定数になったということ。

ここに刻まれているのは、誰かの用具の痕跡であり、意図せずに生まれたキズ、いや用によって刻まれたキズと言えるだろう。

その痕跡はとても美しく、生命を表現したアブストラクトのような、あるいは時間の痕跡を記録したレコーディングのような重厚さがある。作品が経験してきた時間が重要な役割を果たしていることは間違いないが、長い年月の間、大切に扱われてきたことが伝わってきて、恐らくは商品とされる以前の道具としての恭しさが、そのものの持つ存在感として立ち現れる。

商品としての疎外が生じる以前の世界を伝えているかのような、時間の存在の記録があった。

現代にある道具・商品は、ここで展示されていた漆器に似せられたプラスチック製の代替品がある。大量生産、大量消費のシンボルとして見ることもできるが、壊れてしまえば買い替えるし、表面の塗装が剥げてきたら使えなくなってしまう。商品としての代替可能性は、果たして用の美を生じさせるのだろうか。

展示室の解説によれば、根来から見出された美から茶道具とて用いられたようである。螺鈿細工のような装飾が施された屏風に目が行く。その前に展示された茶道具に転用された漆器の役割や佇まいを見て、現在の材料を使って、こうした道具を作ったら、どんな景色が現れるだろうか、と思った。例えば螺鈿はガラスや特殊なエッチング、あるいはLEDを埋め込むのもありだな、漆器は、もちろんプラスチックで作る。

頭の中で結んだ像。これはトム・サックスのティー・セレモニーだ。

工業製品あるいは商品に美が見出されるのか。茶道具は様々な道具が転用された。転用によって生じる美、誤用はアヴァンギャルドな手法でもある。目利きによる価値生成、ある意味ではキュレーションが行われていた。では大量消費品に、それができるか、どうか。時間を超越せずとも見出される何かが。

3年前に見たトム・サックスと繋がった。まさか、このような概念にたどり着くとは思わなかった。





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