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Les Immatériaux or How to Construct the History of Exhibitions 考察メモ

非物質化または展覧会の歴史の構築の仕方。TATE PAPERSとして公開されているテキストを読んでみたメモ。JOHN RAJCHMAN の2009年に書かれたテキスト。

1985年の『Les Immatériaux(非物質的なものたち)』展は、哲学から現代アートへ接続する展覧会だった。それは、アートの境界を解放し、何にでも接続できるように捉えなおした、ある種の実験的な取り組みだったのだろうと推測する。その後の展覧会においても、考え方の拡張を提示することとなった。これほど重大な展覧会について、『コンセプチュアル・アート』では、それほど触れられていないのが不思議でしょうがない。とはいえ、70年代後半で終わったとみることができるコンセプチュアル・アート、そこから現代アートへと接続するのが、本展だとするならば納得がいく。


1985年にパリのポンピドゥー・センターで開催されたフランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールと ティエリー・シャピュのキュレーションによる『Les Immatériaux』展は、その後訪れる東西冷戦終了後のグローバリゼーション、役割が拡張する現代アートを予見するものとして、展覧会の歴史に刻まれる。


昨年、文化庁のシンポジウムに参加したが、林道郎氏が会場から出た東西冷戦とアートについてという質問に、とてつもないボリュームの議論になると答えていた。その時は、アートと東西冷戦に何が関係あるのだろうかと考えたが、このテキストには、1989年のベルリンの壁崩壊から、グローバリゼーションが始まり、様々な境界が解き放たれたというように読み取れる。修士論文で、現代に続く事柄の整理をしていなかったら、この考え方に行きつかなかった。

(現場に聞きに行った。写真に後ろ姿だけ写ってた。)


展覧会の歴史、それをどのように記録していくのか。

In what ways have exhibitions, more than simple displays and configurations of objects, helped change ideas about art, intersecting at particular junctions with technical innovations, discursive shifts and larger kinds of philosophical investigations, thus forming part of these larger histories?

この引用を日本語に訳すと、展覧会は、単なる展示やオブジェの構成にとどまらず、技術革新や論証の転換、より大きな種類の哲学的な調査と交差することで、アートに対する考え方をどのように変え、これらの大きな歴史の一部を形成してきたのでしょうか。といった具合だろうか。

展覧会とは、その時々の考え方に問題提起をし、展覧会そのものが、アートにも働きかける。アートの世界に留まるわけではなく、テクノロジー、哲学などの外部とも接続していく。当時としては『Les Immatériaux』展は、最大規模のもので、「ポスト・モダンの条件」ためのドラマトゥルギー(dramaturgy)として構想したものである。ここで言うドラマトゥルギーとは、演劇なのか、社会学なのか、両方の意味を含めているようにも思える。

この展覧会の記録は、十分に残っていないという。冒頭の展覧会の歴史をどのように紡いでいくのかという問いかけにも接続している。


No doubt there are many great precursors – artists as well as curators – for the sort of unwritten history of exhibitions I have in mind.

"私が考えている展覧会の不文律化された歴史には、アーティストだけでなくキュレーターも含めて、多くの偉大な先駆者がいることは間違いない。"先行しているアーティストあるいはキュレーターからのインスピレーションによって、新たな問いかけ、解釈としての展覧会が展開していく。

作品や展覧会によって、現実の問題と接続する。オブジェクト(物質)からスペース(空間)へ、スペクタクル(鑑賞者)からパーティシペート(参加者)へのシフト。アートの社会や哲学との接続、「実験主義」としてのラボラトリーと関係していた。

しかしながら、『Les Immatériaux』展は、単に哲学的な問題と交差しているだけではなく、実際には哲学者の作品であり、当時は認識されていなかったとしても、哲学の作品であることは間違いない。カントが「美学」と呼んだ学問分野を再構築しようとするリオタールの進行中の試みの一部であったと考えることができる。19世紀以降、美術史や美術批評の先入観を覆してきた哲学的な学問である「美学」の大きな変容と、展覧会が持っている特異な関係について、別の歴史に属する。

何が美なのか。

美学という思想を再構築しようとしたリオタールの試みにおいて、展覧会はどのような姿を現したのだろうか。

『Les Immatériaux』展は、ピエール・ユイグやフィリップ・パレーノのような若いフランス人アーティストの間で、ある種のカルト的な地位を獲得しているという。

1990年代に入ると、リオタールは展覧会の写真を「思想の提示」と呼び、単なる「歴史の記録」とは対照的に、演劇(あるいは音や音楽)と関連したアーカイブと、それを再現するためのスクリプトという別の概念を想定するようになる。こうした概念上演とスクリプトあるいは再演という作品の永続化は、ピエール・ユイグの作品にみられる。

Les Immatériaux was a ‘presentation of ideas’ in the specific sense of ‘presentation’ and ‘idea’ which Lyotard was trying to articulate at the time. It thus linked to another striking aspect of Lyotard’s curatorial experiment – the role and nature of accompanying research, or the role of ‘ideas’ and their ‘address’ in the style of philosophical teaching then current in Paris.

この展覧会は、「プレゼンテーション」と「アイデア」という具体的な意味での「アイデアのプレゼンテーション」であり、リオタールが当時明確にしようとしていたものである。それは、リオタールのキュレーターとしての実験のもうひとつの印象的な側面、すなわち、付随する研究の役割と性質、あるいは当時のパリにおける哲学的教育のスタイルにおける「アイデア」とその「演説」の役割につながっていた。

先ほどのドラマトゥルギー(dramaturgy)という表現は、こうした新しい文脈を持ち込もうとしたことを表しているのかもしれない。

パリ。五月革命のときに、既にグローバル化の下地が整っていたのかもしれない。パソコン通信によるコミュニケーション、管理社があり、統制されたネットワークだけれども、そこで語られることは規制されないし、今のインターネットよりも自由だった。こうした新しいコミュニケーションの可能性、新たな世界の出現とみなせる。



What becomes clear is that Lyotard’s title concept of ‘immateriality’ was different from that of the ‘dematerialisation of art’ associated with the presentation of ideas in what came to be called ‘conceptual art’, and, in particular, ‘institutional critique’.

明らかになるのは、リオタールの「非物質性」というタイトルの概念が、後に「コンセプチュアル・アート」と呼ばれるようになるもの、特に「制度批判」と呼ばれるものにおけるアイデアの提示に関連した「芸術の非物質化」とは異なるものであったということである。

コンセプチュアル・アートから現代アートに至る転換点としての示唆。コンセプチュアル・アートが制度批判かという点については議論が必要だと思うけれど、ピエール・ユイグ、フィリップ・パレーノらの作品が、ゴドフリーのコンセプチュアル・アートと接続しているようには、どうしても思えなかった。どのように明らかにしたのだろうか。

The question thus arises of how this idea and this exhibition are related to that earlier ‘conceptual’ moment in the ‘dramatisation of information’, when the whole idea of the exhibition (or ‘presentation’) was rethought in a manner often opposed to a certain kind of Kantian aestheticism.

この展覧会のアイデア(あるいは’プレゼンテーション’)は、カント的な美学のマナーに反対して再考された’情報のドラマ化’、初期の’コンセプチュアル’な瞬間にどのようにこのアイデアとこの展覧会が関連していたのか疑問が生じる。

In other words, we might consider Les Immatériaux as part of a possible ‘history of exhibitions’, involved with the ‘dramaturgy of information’ and with the role of time, matter, and technology in this history, which would, in turn, intersect with a larger unfinished philosophical history of different ideas of ‘exhibition’ – of ‘presentation’, ‘showing’ or ‘appearance’ – in the history of aesthetics.

別の言い方をすれば、『Les Immatériaux』展を「情報のドラマトゥルギー」と、この歴史における時間、matter、技術の役割に関わる「展覧会の歴史」の一部であると考えることができるかもしれない。それは、美学の歴史の中での「展示」、つまり「提示」、「展示」、「外観」の異なる概念についての、より大きな未完の哲学史と交差することになるだろう。

ここのmatterをどのように訳すべきか。物質、案件、事物。手元の英和辞典によれば、修飾語を伴って物質としての意味ができあがるようである。

This history would encompass, for example, ideas formulated in the 1930s, such as Walter Benjamin’s distinction between ‘exhibition-value’ and ‘cult-value’, the related distinction between vorstellen (to present) and herstellen (to construct) in Heidegger’s lectures on the origin of the work of art, and, later, Hannah Arendt’s idea of ‘the public’.

この歴史は、例えば、ヴァルター・ベンヤミンの「展示価値」と「カルト価値」の区別、ハイデッガーの芸術作品の起源に関する講義におけるvorstellen (提示すること)とherstellen(構築すること)の区別、そして後にハンナ・アーレントの「公共」という考えなど、1930年代に形成されたアイデアを包含することになるだろう。

これこそ現代アートに通じる考え方である。展覧会をどのように作り上げるのか、その構造は、どのようになっているのか。美学について考えるということを示すような、そうした探求にも似た雰囲気がある。高度情報化社会を迎えるにあたり、アートを通じて、哲学と技術とを交錯させる。そうした試みが『Les Immatériaux』に込められていた。時代の転換点とも言えるだろう。どことなく1925年のパリ万博を連想させる。


Lyotard was keen to insist that the aim of Les Immatériaux was not to display objects, but to make visible, even palpable (and so ‘present’) a kind of ‘post-industrial’ techno-scientific condition, at once artistic, critical and curatorial.

リオタールは、『Les Immatériaux』の目的は、オブジェを展示することではなく、芸術的、批評的、そしてキュレーター的な、ある種の「ポストインダストリアル」な技術科学的状況を、目に見える形で、手に取るように分かるように(そしてそれを「提示」)することだと主張していた。

As Lyotard’s ‘Time and Matter’ essay makes plain, the problem of disrupting narrative is itself an aesthetic idea, central to the notion of ‘presentation’ in cinema, and in particular, to Deleuze’s great account of it, published the same year as Les Immatériaux.

リオタールのエッセイ『Time and Matter』が明らかにしているように、物語を混乱させる問題は、それ自体が美学的な考えであり、映画における’プレゼンテーション’という概念の中心であり、特に『Les Immatériaux』と同じ年に出版されたドゥルーズの偉大な説明の中心である。

ここでもmatterが出てくる。先のmatterと同じ意味合いと捉えるべきか。単純に物質と置いてみて、後から修正を加えていくのがよさそうな気がしてきた。

そして、ドゥルーズにまでつながった。『ゲーテからベンヤミンへ』を読んでいるタイミングで、ドゥルーズを読んでいた。こうしたことが全てつながっていく不思議な感覚が未だにある。

It is this notion of ‘research’, and of ‘connections’ between philosophy and art, that is found in Deleuze’s 1985 essay on ‘Mediators’ (more precisely translated as ‘Interceders’), which in turn would lead to the problem of ‘information’ and ‘control’ in the history of cinema.

哲学とアートの接続。映画に対する考察なのか、映像作品に拡張するべきなのか、興味が尽きない。こうして得られた知識をもって、もう一度ドゥルーズにあたってみよう。

In Lyotard’s labyrinthine theatre of the new (post-cinematic) ‘condition’ of information, ‘immateriality’ was no longer conceived in terms of freeing concepts or ideas from all materials, but, on the contrary, of shifting the idea of ‘materiality’ away from that of ‘formed matter’ (including the ‘modernist’ distinction between form and content) and towards the ‘techno-sciences’ and the city.

リオタールの情報の新しい(ポスト映画的な)「状態」の迷宮劇において、「非物質性」はもはや概念や観念をあらゆる物質から解放するという意味ではなく、逆に「物質性」の観念を「形成された物質」の観念(形と内容の間の「モダニズム的」な区別を含む)から「テクノ・サイエンス」と都市の観念へと移行させるものであった。

ここに、表象文化論学会の非物質性の二面性とは違った見解が見いだせる。物質性を見出すための非物質化と物質からの離脱を目的とした非物質化、両面の捉え方ができる。




1989年は冷戦終結の離陸の日。19世紀にヘーゲルが芸術の終焉を宣言し、モダニズムが生まれた。それと同じようなことが、1989年の冷戦終結を(後から見た場合だけれども)同じような転換点と捉えることができるのだろう。もはや、中心は存在しなくなり、世界はグローバル化に移行していく。
グローバリゼーションでの中心・周縁やネットワーク、さらには文明の衝突、移民の問題、世界は複雑なテーマを考える必要性がでてきた。そうした課題の提示に、重要な役割を現代アートが果たすようになるということ。

現代アートは、グローバル化によって顕在化した問題、それを暴露したり、破壊したり、問いかけたりする。見えないものを可視化し、思考することができる状態にする。これこそ現代アートの真骨頂のような感じがする。

コンセプチュアル・アートはモダニズムからの転換のための儀式あるいは儀礼だったような印象がある。このテキストで指摘されているように、1960年代から1970年代にかけては、「現代アート」が初めて「モダニズム」美術との対比や対立の中に自分自身を見いだした転換点であると考えるのが通例であるとしている。この時代、特にニューヨークだけでなく、アートという概念は、スタジオでの制作とホワイトキューブでの展示、アートと日常生活、情報と大衆文化といった、それまで囲い込まれていた一連の区別から解放されたように見えた。区分から自分自身を切り離し、制度的な形態から自分自身を解放することで、現代アートは、他の分野の「モダニズム」と正確な類似性を持たずに、「オルタナティブ」なものを含む視覚芸術や芸術機関が重要な役割を果たす新しい「外部」へのアクセスを得ることができたのである。しかしながら、アンドレア・フレイザーが、もはや「外部」が存在しないことを心配したこと。主流/オルタナティブ、外部/内部の区別は、そのエッジの大部分を失い、それ自体が公式の美術史的・美術館学的な言説の一部となってしまった。

リオタールの著書、そして『Les Immatériaux』展は、「現代アート」のある意味から別の意味への移行という観点から、両者の間の重要な瞬間とそれに伴う「混乱」の感覚を「ドラマ化」したものとして読み取ることができるかもしれない。この「外部」の要素は、彼が「提示できないものを提示する」ことと関連づけた異論のある「出来事」の種類と一致し、展覧会の「演劇性」という概念と関連していた。


One always dramatises new ‘ideas’ – as Deleuze already saw in Nietzsche and Wagner – and exhibitions can be one way of doing this; the notion of ‘imaginary’ which Lyotard was trying to rescue from Malraux, was another. It is perhaps this theatrical or imaginary side of Les Immatériaux – Lyotard’s interpretation of Buren’s ‘showing the exhibition’ – that would appeal to Huyghe and Parreno: the creation of a kind of ‘environment’ for the enactment of ideas.

ドゥルーズが、ニーチェとワーグナーに見ていた’アイデア’のドラマ性、展覧会はそのひとつの方法である。リオタールがマルローから取り戻そうとしていた’イマジナリー’という概念とは違ったもの。

’イマジナリー’という概念は、おそらく『Les Immatériaux 』展の演劇的な側面、あるいは想像的な側面、つまりビュレンの’展覧会を見せる’という行為をリオタールが解釈したものであり、ユイグとパレーノに訴えかけるものであろう。

思想を上演するための一種の「環境」の創造。


展覧会の歴史はどのように構築されるべきなのだろうか。そのような歴史は、一つの論理や物語に支配された一つのものではなく、多くの他のものと交差しているからこそ重要なものなのだろう。『Les Immatériaux』展で示唆されていることである。



※翻訳は、かなりの部分意訳が入っています。これ違うよという突っ込み、大歓迎です。ただ、訳文を提示したいわけではないので、お手柔らかにお願いします。






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