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表象文化論学会 第10回大会 パネル2: 今日のLes immatériaux

2015年に、表象文化論学会のパネル2でジャン=フランソワ・リオタールの『非物質的なものたち』展について、発表が行われていたらしい。

「Les immatériaux(非物質的なものたち)」とは、哲学者ジャン゠フランソワ・リオタールが共同企画し、1985年にポンピドゥー・センターで開催された展覧会のタイトルである。芸術作品が、さまざまな科学的イメージ、そして工業製品やポピュラー・カルチャーなどと無差別に並置され、定まった順路のない会場を鑑賞者は無線レシーバーを装着して歩きまわる、という構成のこの展覧会は、芸術と科学技術の関係を問う大規模な展覧会として大きな話題を呼び、現在ではメディア・アートの先駆的な展覧会として言及されることも多い。

本展は、情報化社会の到来を予見したジャン=フランソワ・リオタールが、哲学者として世に問うた展覧会、他の資料にあたってみても、当時としては、美術の世界としての展覧会というよりも、哲学者が見せた博覧会といった印象があったよう。

非物質的な次元を批判的に考察するもの

非物質的な次元。
情報化社会の到来を非物質化と言うのであれば、それはサイバー空間、もっと今的に言うならば、デジタル空間と捉えることができるだろうか。それほど単純なものではなく、物質界と非物質界への思索の跳躍を促す役割があったのではないかと考える。

電気が世に広まったとき、エレキテル、デンキというものが革新的として関係のないものにまで名前が使われたことがある。今も残っているのは浅草神谷バーによる電気ブランだろうか。明治15年の考案とある。



 本パネルでは、本展覧会を歴史的に回顧し、リオタールの哲学の文脈において再考するとともに(星野)、サイバネティクスや情報理論、ポストヒューマニズムの系譜のなかで批判的に読解し(原島)、さらに、芸術と科学の関係を問う今日的な試みへとどのように展開しうるかを検討したい(奥本)。そのことによって、本展覧会の再読を、開催から30年経過した現在の状況を問う生産的な議論へと結びつけていくことが本パネルの目的である。

先の思索の飛躍に至ったのは、展覧会から30年経過した2015年に表象文化論学会のパネルで、哲学、情報技術、芸術というコンテキストで、語られること。非学会員にも開かれていたこと等から、単純な博覧会、その時点での断面を切り取ったものではないということが推測できる。


20世紀後半の先端科学と情報技術の発展を重要なモティーフとする同展では、リオタールがその6年前に発表した『ポストモダンの条件』(1979)が明示的な参照項とされていた。だが、その展覧会のタイトルにも含まれている「(非)物質」という概念を理解する上では、むしろ1980年代に発表されたリオタールの芸術論にこそ照準が合わせられるべきだろう。後に『非人間的なもの』(1988)や『ポストモダンの寓話』(1993)などにまとめられるこの時期のリオタールのテクストには、「崇高」「インファンス」「非人間的なもの」などとともに、「物質(matière)」や「非物質的なもの(l’immatériel)」というキーワードが重要な局面においてたびたび登場する。

1985年、マイクロソフトは初めてのWindowsを出荷した。前年にはマッキントッシュが発売されていた。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が封切され、ファミコンは、NESとして『スーパーマリオブラザーズ』とともに、北米で発売開始された。今から振り返れば、情報産業に重要な要素がいくつかあるものの、それはほんの萌芽にしかすぎず、それらが接続、関連していくことなんて、誰も想像していなかったに違いない。大学院に入って現代アートの研究を始めたけど、アート関連の書籍ではなく、哲学書ばかりを読んでいた。哲学者の思考、クリティカル・シンキング。思考実験は、こうした萌芽を捉えることができるのだと思った。

星野太氏による発表は、リオタールの哲学に即し、”非物質”が何を示しているのかを探るもの。同時代において非物質化というプロセスがどのようなものだったのか「──肯定的および否定的な──二重の側面である。」であるとしている。

「非物質的なものたち」を、ポスト物質や脱物質として理解するよりは、物質的なるものの理解を問い直す創造的な行為=思考として意味をつくりだすことを提案したい

非物質化という単語にとらわれるのではなく、そこに至った思考の経緯、そして、そうした言葉から連なる考え方と社会の変化について展開すると捉えられる。

環境の拘束のなかで自律的に自己創造する活動としての身体の非物質的物質性である。こうした両義性がサイバネティクスや情報通信理論から抜け落ちていることは繰り返し指摘されてきたが、今日のグローバルな情報技術環境においても依然としてこれが見過ごされがちな状況は続いている。

身体の非物質的物質性、これから考えたのは、既に情報端末、検索抜きではいられない現在の私達を示唆しているようにも見える。記憶の一部をネット上に保管し、それを引き出すようになった。実際のところ、電話番号を何件覚えているだろうか。これを記憶のサイバネティクス化と見做すこともできるのではないか。


実際、「非物質的なものたち」は、その後30年間で地球規模のネットワークを形成するにいたったが、それは、非物質的物質としてではなく、表象的で指示的で計算的で論理実証主義的なデータやオブジェクトとしてだけではなかったか。

ただ、こうした指摘は、「非物質的なものたち」を限定してしまうきらいがあるように感じる。


科学技術の進歩により、自然科学はますます専門性を増し、その活動内容は難解になっていく。他方で、その活動の規模の巨大化により、国の援助なしには進行しないという状況に陥る。その結果、国民への科学活動への啓蒙が熱心に行なわれるようになり、それを科学コミュニケーションと言う。

これは『ポスト・モダンの条件』と『知識人の終焉』を要約している。とても簡潔で分かりやすい。


科学コミュニケーションとアートとの関係は1960年代まで遡る。原爆の父と呼ばれた物理学者オッペンハイマーが1969年にシカゴに建設した科学館、エクスプロラトリウムでは、アートを用いて科学を体験することを目指している。科学館側にとってアートはあくまでも啓蒙に用いるツールであり、アートの指摘するポストモダニズム的価値観が科学に反映されることはなかった。

科学がアートを使っていた。しかし、近年の科学に対する不信感から、ポストモダニズム的な発想が受け入れられつつある。

これはモリス・バーマンの『デカルトからベイトソンへ』からも入手した考え方。




大会報告は、こちらに掲載


『Les immatériaux』展の様子が報告されている。こうした情報がとてもありがたい。

ここでは、マルセル・デュシャン、ジョセフ・コスース、ダン・グラハム、ジャコモ・バッラ、エドワード・マイブリッジ、ジャン=シメオン・シャルダンらの作品が、古代エジプトのリリーフ、オリオン星座、細胞、カプセルホテル、株式市場などの様々なイメージと並置されていた。さらに、材料、元型、物質、原料、母性などの意味を持つ「m」ではじまる5つのキーワードに属する60個以上の「サイト」を、無線レシーバーを装着した観客が自分で動線を決めて歩きまわるようになっていた。カタログは、ダニエル・ビュラン、ダニエル・シャルル、ジャック・デリダ、ブルーノ・ラトゥールら26人が自宅に設置したマイクロコンピュータとセンターの間のコンピュータ通信によって集められた「エクリチュールのテスト」および展覧会の資料編と、リーフレットの形をしている視覚的なイメージの目録(ダウンロード可)の2冊組で構成されていた。

この当時、マイクロコンピュータとセンターの間のコンピューター通信は、なんとも大変だっただろうなと推測する。まだインターネットの民間利用は認められていなかったし、フランスでは、暗号技術は軍事技術として国内での暗号の使用は禁止されていた。こうした規制を逆手に取ったウィルスなども存在していた。

原島大輔は本展の全てが「メッセージに還元されうる」と指摘し、物質ゾーンを抜け出た後に「言語の迷宮」と名づけられたゾーンに辿り着く構成から「物質を言語に還元するプロセス」を見いだした。

言語化することでメッセージとして還元できるという着想は面白い。ただ、昨今は画像などの言語化されていない情報もメッセージたりうる。明言していないからこその解釈の振り幅のような感じがするけれど、こうした現時点での解釈というのを整理するのは重要だと考える。


星野と原島がともに注目した「抵抗」という概念は、当時リオタールが構想していた本展に後続する展覧会のタイトルでもある。「Les immatériaux」展で提示されたような、科学技術によって与えられた外部の非物質性に対するある種の「抵抗」を可能にするのが、リオタールの芸術論のなかで展開されていた第2の非物質性であるというのが星野の解釈。その反面、原島は展覧会のなかから非物質的物質、非物質化への「抵抗」としての非物質というキーワードを指摘し、そのポテンシャルを強調した。

抵抗、どこから出てきた概念だろうか。書籍かな。


小林は「メッセージ性」に注目する原島の観点に同意しつつ、人間の主体があってメッセージを出すのではなく、主体も自己も単なる無数の関係性、応答性のつなぎ目にすぎないとみることに新しい哲学的な転回があるという。

関係性からの着眼点。その関係性はメッセージを出す。


フィリップ・パレノは、「Les immatériaux」展でいう「抵抗」とは、社会政治的な意味ではなく、電子回路のなかで熱を発する「抵抗」のことを意味していると指摘し、リオタールがこの言葉を通して、物理学などの純粋理論を現実世界に持ち込む時に起こる予想外の「難関」、ある種の「摩擦」について言及しようとしていたと述べた(PARRENO, Phillip, "In Conversation with Daniel Birnbaum//2007", in Exhibition, Lucy Steeds (ed.), Whitechapel Gallery and The MIT Press, 2014, p.57)

ここでフィリップ・パレーノのテキストが引用されている。彼は、実際に展覧会を見て衝撃を受けていたし、恐らくリオタールと交流もしていただろうと推測する。ピエール・ユイグとともに、フランスの若いアーティストとして、この展覧会に衝撃を受けた。

同時代(後世)のアーティストへの影響̶̶ハンス・ウルリッヒ・オブリスト:「個人的に見ていない、あるいは経験していない展覧会について書くことは困難であり、わたしも普段そうしたことは避けるようにしている。だが、それがキュレーションの、さらには芸術制作の歴史にもたらした重要性を強調する必要に鑑みれば、哲学者のジャン=フランソワ・リオタールと、インダストリアル・デザイン・センターのディレクターであったティエリー・シャピュによって組織された「非物質」展は、その例外とせざるをえない。わたしが長年のあいだ親しく仕事をしてきたドミニク・ゴンザレス=フェルステル、ピエール・ユイグ、フィリップ・パレーノといったアーティストたちにとって、この展覧会はさまざまな面において、ずっと触媒のようなものでもありつづけてきた。彼らはみな学生の頃にこの展覧会を見ており、いまなおそれについて議論しつづけている」[OBRIST (2012), 12]→[OBRIST (2014), 157](※参考テキストから)

触媒のようなもの。

オブリストのテキストとパレーノのテキストにもあたる必要がありそう。


1960年代、コンピュータを用いた作曲や作画制作の背後にある情報美学の貢献のひとつは社会における芸術作品のあり方を情報コミュニケーションとして捉え直した点にある。さらに複数の作品を選んで並べることで成立する展覧会も、それ自体コミュニケーションであると、リオタールは強く意識して「Les immatériaux」展を企画したのでないだろうか。

DTPが出現したのが1985年。ワークステーションの一般化(といっても出現当初は非常に高価)はゼロックスから始まる。ゼロックスのワークステーションはマウスを備え、イーサネットによるネットワーク、レーザープリンタにも接続していたという。(この頃になるとSunやhpのワークステーションも入手できるようになっていた。)一方で大量の給与計算を行うためにIBMの大型コンピュータが企業に導入され、大きな計算処理をまかなっていた。(こうした大量処理の実現が、資本集積の一役を担ったと思う。)企業の事務処理は大型機、クリエイティブな領域の作業はワークステーションという図式が、当初はあったと思う。そうしたクリエイティブな環境に侵入したワークステーションが、芸術作品の在り方にどのような影響を与えたのか。その解釈のひとつが、この展覧会であったのか。


キュレーターのヤシャ・ライハートが強調したように、既存の芸術の範疇を超える新しい創造性の前では「これがアートなのか?」という質問が意味を持たなくなるのだ。






参考テキスト:

星野太『誰が「非物質化」を恐れているのか̶̶リオタールとLes Immatériaux』 表象文化論学会第10 回大会@早稲田大学戸山キャンパス32 号館1 階128 教室 2015 年7 月5 日(日) 午前(10:00-12:00) パネル2「今日のLes immatériaux」


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